8月13日開催:『第11回SDGs勉強会~国際協力/援助について考えてみようⅡ』のご報告

 

 ご参加下さった皆さま、ありがとうございました。

皆さまのご協力に感謝致します。

 

◆参加人数:10

 

◆ドネーション額:30,000(14回種を蒔く人のお話を聴く会のドネーションと合わせて)

815日にフェアトレード・コットン・イニシアティブ様へ30,000円をお送り致しました。

 

◆参加者の皆さんのお声

・国際協力にもいろいろな形があり、必要とされる援助を届けられる事がいかに難しいかよくわかりました。支援内容についての決定は非常に重要であり、様々な立場の方の意見を聴き、まとめていくプロセスがとても複雑なことも学びました。

・ロールプレイを通して、国際協力の難しさを体感しました。現地の人々のニーズを探ることの大切さと困難さを同時に学ぶことができました。

・援助する側が主役になってはいけない。援助する側(必要とする人々)の話に耳を傾ける。更には自己プランニングできるように(技術移転)。また参加型援助について考えさせられました。

・富でもなく物でもない、目に見えないところにニーズがある。

・人の世の有る限り 戦争も貧困も無くなることはない。そして、これからの日本がひたすら貧困に向かうのか真の平和にむけて政治経済ともに再生できるか……などと考えております。貴重なお話を、聞かせて頂きありがとうございました。

・国際協力においては、コミュニティの構成メンバー、多様な一人ひとりの声に耳を傾け、丁寧にニーズを確かめること、多様なニーズにフェアに対応していくことが大切だと思います。多様な個人のアイデンティティ、多様な組織のアイデンティティへの理解を深めながら、課題の解決に繋がる方向へみんなで進んでいけるように、丁寧な対話を重ね、聡明な判断をしていく必要があると感じます。

 

 

 

種を蒔く#360 2022816

 

岩崎裕保からあなたへ

 

第11回SDGs勉強会「国際協力/援助について考えてみようⅡ」

 

前回に引き続き「国際協力/援助」がテーマでした。

『「援助」する前に考えよう』の2つ目のワーク「再びバーン村へ」をおこないました。

日本に戻ってアイ子さんを探して会えることになり、話し合いの結果いっしょにバーン村に行って3日間の調査をすることになりました。

ロールプレイでは「アイ子」「日本人訪問者(2人)」「村長」「村落開発委員」「小学校の先生」の6人でミィーティングが設定されて、通訳の「タイ人のガイド」が司会をしてくれました。「役割カード」をベースに話し合いが行われ――当日の参加者がなかなか積極的に質疑応答をしてくださいました――、最後は「村の長老」が「私たちはお金をきちんと使い報告もします。食事をして、歌や踊りを見て、ゆっくりしていってください」と言って、会はお開きになりました。このミーティングの場には村の4人のほかに、「リーダー格の青年」「薬草に詳しい村民」「他の山岳民族から嫁いできた村民」「高齢者の村民」「自分の畑がない村民」「前の村長」「目が不自由な村民」「伝統的な儀式に詳しい村民」「子どもが3人いて、妊娠中の村民」などなど30人近い人たちも集まっていました。

このように村に暮らすさまざまな人びとがいて、それぞれの問題を持っているのですが、外部者が短期間でそれぞれのニーズを聞き出すのは大変難しいことです。話し合いに参加したのは村の主流に属する人で、とくに弱い立場の人たちの意見は反映されない可能性が低くありません。すでに20万円を寄付してくれたアイ子(のグループ)に「都合の悪いこと」はあまり言わないでしょうし、次の支援の可能性が垣間見えるのでアイ子たちの意向や考え方に合わせて受け答えをしてしまいがちです。このような調査の仕方では、村の人びとの本当のニーズを知ることは至難です。

 

従来実際に行われてきたのは、長期滞在による質問紙調査でした。質問用紙をもって村人の家を訪ねて聞き取りをして質問紙に記入して、それを集計・分析するという手法です。村人が本音を語るには調査者との信頼関係が基本になりますし、調査項目も数量化が可能な項目が選ばれる傾向あるために、往々にして正確ではない皮相な結果しか得られないということになりやすいことは容易に推測できます。(日本の民俗学者・宮本常一は聞き取りをするときは、紙も鉛筆も持たずメモを取らなかったようです。もちろんテープレコーダーなどは使いません。ただ話し込みます。夜、宿舎に戻ると懸命に思い出してメモを作っていたそうです。)

歴史的に見ますと、1970年代までの開発プロジェクトは「慈善型」とも言うべきもので、宗教関係者や福祉団体あるいは王室系の団体などが恵まれない貧困層や弱者に慈善的な援助を行うタイプです。80年代になると「技術移転型」と言われるタイプで、NGOなどが貧しい農村の開発やスラムの改善のために財団や国際機関などから資金を得て、外部の進んだ技術を移転することが目指されました。90年代に入るころからは「参加型」と呼ばれる開発プロジェクトの方向性が目指されるようになってきました。開発の受益者である住民自身がプロジェクトの計画・実施・評価に参加して、より公平にその恩恵を受けられるようにすることが目指されています。

どの型が優れているということは言い難く、たとえば災害などの緊急援助は「技術移転型」や「参加型」ではうまく機能しません――食糧が要るときにはまずソレを手渡すことですが、情況が落ち着けば釣竿を渡すことが助けになりますし、その次には釣竿の作り方を教えるというように対応していくことが必要です。そして、それをいつまで続けるかということもきちんと視野に入れておかねばなりません。

この分野の専門家の一人は「学生には、とにかく、現地の人の邪魔をしないように、と伝えている」と言っています。内発的発展というコトバを使いますが、当事者が自分たちの資源を用いて主体的にコトを進めていくことが一番大事だと思います。

 

さて、ODAにせよMDGsSDGsに共通するのは”D”の「開発」です。

私たちは「開発」ということに向き合って、考えていかねばなりません。これまでは「経済開発」ということを主に考えてきたのですが、それは人間の暮しの一側面にしか過ぎなく、「人間開発Human Development」という視座が提起されるようになって、1990年以降『人間開発報告書』が国連開発計画(UNDP)から毎年刊行されています。

「勉強会」当日は「開発とは(何か)」というワークをおこないました。次の9つの開発の概念をランキングするというものです。

A エネルギーや交通などの産業基盤が発達し、技術革新も進んで、経済が成長すること。

B 世界の資源が濫用されず、鹿も後世に分配されて、将来にわたって環境が保持できること。

C 地域の政治的な意思決定に参加でき、権力がより平等に分配されること。

D ネットワークを築くことができ、互いに助け合って生きることができること。

E 健康で長生きでき、病気になっても容易に治療が受けられ、犯罪もなく安心して生活できること。

F ゆとりある生活空間で、時間に追われることもなく、自分の好きなことにも打ち込めること。

G 能力に応じて教育を受けることができ、自己実現に向けて努力できること。

H 他人に対して思いやりの心をもち、文化の多様性を尊重し、性別で不利益がないこと。

I  強力で安定した政府を樹立すること。

参加者が「そうだこの開発には賛同できる」と思うもの(Ⅰ)を1つ、そしてその反対に「この開発には賛同しがたい」と思うもの(Ⅴ)を1つ選んでもらい、そのアルファベットを板書してみたところ、前者と後者が完全に入れ替わるという現象もありましたし、全員が一致するということはありませんでした。(そして、残りの7項目を、Ⅰに近いものを2個、Ⅴに近いものを2個選んで、残りの3個を真ん中に置くという作業は、時間の関係でおこなえませんでした。)そう、これこそが「開発」であるという「正解」や「モデル」はないのです。それぞれの社会に応じた開発があるのです――外発的ではなく内発的であることの大切さを分かっておくことに意味があります。

 

世界中の人が米国と同じ暮しをしたら地球は5個要ります。日本と同じ暮しを求めれば2.8個の地球が要ります。中国と同じだと2.2個、インドと同じなら0.7個です。世界平均では1.7個ということで、地球規模で持続可能でなくなっています。

 

 

世界の人口のうち、最も裕福な上位5分の1が、地球上のすべての富の約83%を所有しており、反対に、最も貧しい5分の1は、わずか約1%の富を所有しているにすぎません。グラフの特徴的な形から「富のワイン(シャンパン)グラス」という名称で呼ばれます。また、1960年のデータでは、下位20%の貧困層の平均所得と、上位20%の富裕層の平均所得とを比べると、その比率は130でした。ところが2007年のデータでは、それが183まで広がっています。つまり富裕層と貧困層の間の経済格差は、まるで倍々ゲームのように、ますます膨らんでいるのです。

地球が1.7個必要であるという現状は、最も上位の人たちの生活様式が生み出しているのであって、残りの5分の4の人たちの暮しを収奪することで可能になっていることが見て取れます。歴史的には世界貿易が始まった500年前には最上位と最下位は1.5~2対1くらいの差でしたが、下からどんどん吸い取っていくことで上が太ってきたのです。こうして蓄えた富の中からGDP0.3%を上から下に垂れ流すODAでこの格差を埋めることはできるのでしょうか・・・

 

最後に、カナダの先住民族クリーのことばを読んで、勉強会を閉じました。

Only when the last tree has died & the last river has been poisoned & the last fish has been caught, will we realise that we cannot eat money.

木が枯れ、川が汚され、魚が取れなくなって、やっと私たちはお金を食べて生きていくことができないことに気づく。

 

プロフィール:blue earth green trees SDGs勉強会プロジェクトリーダー。同志社大学法学部政治学科卒業、同大学院アメリカ研究科修了。ニュージーランドが関心の地域。私立中高で英語を教え、その後大学に移って「平和研究」「国際協力論」「NGO/NPO論」などを担当。2008年から6年間開発教育協会(DEAR)代表理事。今はDEAR顧問と関西NGO協議会(KNC)監事。

種を蒔く:#354,349,342,319,310,303,292, 266, 259, 254, 237, 224, 197, 175, 143,