ご参加くださった皆さま、ご協力くださった皆さま、ありがとうございました。
◆2022年3月~2023年2月ドネーション額:445,500円
国連UNHCR協会様、AMDA様等を通して、世界の難民・避難民の皆さんのためにご活用いただいております。
●2023年2/1~2/13 blue earth green treesより40,000円(AMDA様)、30,000円(国連UNHCR協会様)、30,000円(CODE海外災害援助市民センター様)*いずれもトルコ・シリア大地震被災者支援
●2023年1/1~1/31 10,000円(難民・避難民の皆さんを応援するポストカード100枚の売上:1月31日にAMDA様にお送りしました)
●2022年11/1~12/31 10,000円
●2022年10/1~12/31 10,000円
●2022年9/1~10/31 10,000円
●2022年8/1~8/31 7,000円
●2022年6/16~7/31 10,000円
●2022年6/1~6/15 10,000円
●2022年5/1~5/31 10,000円
●2022年4/1~4/30 10,000円
●2022年3/14~3/30 皆さまより51,500円
●2022年3/12~3/13 ドネーションプロジェクトにご参加の皆さまより 82,000円
●2022年3/10 blue earth green treesより95,000円
◆皆様のお声
【2023年7月】
紛争や迫害により故郷を追われた人は2023年5月末に1億1000万人をこえたとUNHCRが伝えていることを知りました。
【2023年6月】
・世界の難民の約4割にあたる4,330万人は子どもということです。一人ひとりの子どもが未来に希望を見つけていけますように、私たち大人がそれぞれできることを見つけていけたらと思います。
・世界のさまざまな場所で故郷や家を追われる人が1億人以上いる現状、少しでも助け合えるように一人ひとりができることを見つけていきたいと思います。
・子どもたち、若者たちの内側にある力が安心できる場所で十分に発揮できるように、少しでも私たちにできることを積み重ねていきたいと思います。
【2023年5月】
・難民の子どもたちは保護者と離ればなれになったり失ったりし、幼い弟や妹を育てていたり、路上で働いたりしています。年若い時に結婚を強制されることも少なくないと言われます。難民の子どもたち一人ひとりが保護され、安全・安心な場所で教育を受けられ、心理的ケアを受けられるようにと願います。
【2023年4月】
・スーダンでの戦闘で死者700人、難民となった人が80万人以上と報道されている。一刻も早く停戦合意が進められるように祈ります。
・ウクライナとロシアの戦いが終わる方向へ、各国の知恵を総動員して動いていかなければいけないと思う。特に、子どもたち・若者たちの未来のために。
【2023年3月】
・戦場でひとり残された子どもが安全な場所で精神的なケアーを受けて、自分の人生で生きる意味を見つけていけるようにと祈ります。
・対立が生じた時にどのように対応していくのか、紛争に向かっていかないようにどのように治めていくのか、私たちひとりひとりの置かれた場所で平和の文化を育てていく必要を感じます。
・支援が届きにくいシリアの人々が少しでも安全な場所で安心して過ごせますように、なんとか必要な支援を届けていただきたいです。
・私たちの日常でも人と人が健全な関係を築けずに、孤立していくことがあります。一人ひとりがあたたかい人間関係を育てていく術を身につけていく必要があると感じます。
【2023年2月】
・トルコとシリアの大地震で被災された皆さんが、厳しい寒さから守られるように、安全な場で安心できるようにとお祈りしています。
・Thinking of those children, those elderly people, those who have been affected by the war, I would like to do what I can do for them.
・2022年2月のロシアのウクライナ侵攻から1年、 どのように平和への道を進んでいけるのか・・。ささやかなことであっても自分の心の中をととのえて、穏やかで平和の文化を築いてきたい。
・ウクライナとロシアの市民が犠牲になり続けることに心がいたみます。
・厳しい冬の日々、家族を失い、家を失い、避難している人が安全な場で少しでも安心できますようにと祈ります。
・シリアの人々は内戦と地震でより苦しい状況に追いこまれています。支援が届きますように。
・現地に入られ、直接、被災者の声を聴いておられるNGOの方々のレポートを読みながら、トルコ・シリアの皆さんに想いを馳せています。
・支援が届きにくい地域の方々はより厳しい状況になっていくと思います。
・トルコ・シリア大地震、気温も低く、無事だった方々のこれからも心配です。
・We, ‘blue earth green trees’ would like to express our sympathies to those affected by the disaster in Turkey and Syria. We are thinking of you. Our thoughts are with you. We keep on praying for your safety and recovery.
・大変な被害で心がいたみます。日本からトルコ・シリアの皆さんのことを想っています。
【2023年1月】
・戦争の方へ向かうのではなく、平和の方へ向かう知恵を私たち一人ひとりが自分の人生で育てて行かなければと強く思います。
・難民・避難民の皆さんが安全で安心できる場所で、一人ひとりの人生を再生していけるように、私たちみんなで考え、行動していかなければと思います。
・今年も毎日歩きながら、自分自身の健康管理と家族の健康の応援をしていきます。難民・避難民の皆さんの安全と健康を祈りながら。
【2022年12月】
・2022年はウクライナ、シリア、ミャンマー、アフガニスタンをはじめ、世界各地で厳しい状況が続きました。住み慣れた家や故郷を離れ、安心できる場を求めて歩き続けられる皆さんを想いました。
・できることをひとつひとつ行動に移し、少しでも良い社会になるように動いていきたいです。
・世界で起こっていることを正確に理解したいと思います。
【2022年11月】
・問題がひとつ解決されても、次々に問題が生まれてくる世界の今。それでも、今日も一人ひとりの命が救われるように祈り、行動しよう。
・個人が平安を求めて宗教に頼るのは良いが、宗教が原因で対立・敵対することは避けたい。宗教の違いによる紛争や戦争は悲しい。そのために難民・避難民が生まれることはどうなのだろうか?
・歩きながら難民・避難民のお一人おひとりを想像してみます。家族と離れ離れにならないように、もしくは離れ離れになってしまった家族を想い、途方もない距離を歩き続ける中で、希望はやはり家族や友人、そしてその状況と共にある自然なのではないか・・と。
・生まれた場所・育つ場所で紛争や大規模な災害が起こり、安全な場所を求めて移動せざるを得ない人たちの現状を知ろうとすることがまず大切だと感じています。
・一人ひとりの命を想い、一人ひとりの人生の物語を見つめ続けていくことと共に、国際的な紛争解決の視点と災害予防の視点を模索し続けていく必要があると思います。
・どの国に生まれ育っても家族や友達と一緒に過ごすことができ、自分の心身を大切に笑顔で過ごせるようにと祈ります。
・災害で故郷を離れ、移動せざるを得ない人たちが安全で安心できる場所で落ち着いて暮らせますように。災害に繋がる温暖化が進まないように私たちの暮らしでできることを見つけていかなければと思います。
【2022年10月】
・人の命が簡単に奪われていることに絶望的な気持ちになりますが、今、自分にできることを継続していきます。
・「戦争日記~鉛筆1本で描いたウクライナのある家族の日々」(オリガ・グレベンニク著、2022年9月発行、河出書房新社)を読みました。「わたしは民族で人を分けない。人を定義するのは、民族ではなく行動だからだ。」というメッセージが心に響きました。
【2022年9月】
・紛争の影響を受けている子どもたちとその家族の心の健康を応援する必要を感じます。
・ウクライナのザポリージャ原発の周囲に暮らすご家族は、子どもたちや高齢者のことを心配し、胸がはりさける想いかと思います。深刻な被害が広がる前に適切な判断がなされるようにと祈ります。
・ロシアのウクライナ侵攻から半年が過ぎましたが、安全で安心できる日々はまだ戻らず、心が痛みます。世界が一人ひとりの命を大切にする方向に進めますように。
・ミャンマーでのクーデターから1年半が経ち、日本人ジャーナリストが拘束されたニュースもあり、厳しい状況が続いています。日本人ジャーナリストの安全が守られ、人々が安心した暮らしが一刻も早く戻りますようにと祈ります。
・「中学生から知りたいウクライナのこと」(小山哲・藤原辰史著、2022年、ミシマ社)を読みました。歴史を知ることが、現在起こっていることへの理解に繋がり、自分自身の考えが少し深くなってくると感じました。
【2022年7月】
・映画FLEEを観ました。アフガニスタンで生まれ育った主人公がデンマークに亡命し、ゲイとして生きる人生を親友の映画監督に語り、安全のためにアニメーションで描かれていました。難民であるということはどういうことであるのか、考えさせられました。
親友として監督を信頼しているからこそ、この映画が生まれたのだと思いました。
・難民の方々に安心感を届けるために、カウンセリングやオンラインでの交流を続けておられるコミュニティワーカーの存在を知り、とても大切な役割だと感じました。
・私たちも安心感によってエネルギーを得たり、前に進む勇気をもらえます。難民の方々も同じだと思います。
【2022年6月】
・2021年2月のミャンマーでの非常事態宣言の後、ミャンマーの皆様が自由を享受できない日々が続いています。国内外に避難されている皆さんが、早く安心して故郷で暮らせるように心より祈っています。
・ロシアで起こっている状況をドキュメンタリー映画として伝える「ナワリヌイ」を観ました。「決して諦めない」「おそれない」というあり方に勇気をもらいました。ロシアの中で生きるということ、個人として自分のあり方を見つめること、自由を求めて生きることについて、考えさせられました。
・映画「ドンバス」を観ました。2014年から2015年にかけて、親ロシア派が占領するウクライナ東部ドンバス地方で起きた実話を元につくられたこの映画では、地下シェルターの過酷な生活やウクライナ兵捕虜への見せしめ行為、両軍による激しい攻撃の応酬などが伝えられています。2022年6月現在、この映画が伝えている状況よりももっと悲惨なことが起こっている2022年6月現在、停戦・終戦の道は見つからないのでしょうか?
【2022年3月~5月】
・平穏な日々は当たり前に続くものではないということを、大きな恐怖とともに実感しています。今ウクライナに起きていることは、世界中の人々から平和を望み信じる心を奪うこと。その心なくして、ここから先の人類の未来をどう作っていけるのか?ウクライナの方々の大切な命が守られますように。そして、穏やかな日常と心の青空が一日も早く戻りますようにと、強く強く願っています。
・東京、北京のオリンピックでは、世界各国のアスリートが挑戦する姿、また国を越えて健闘を称え合ったり、不本意な結果を慰め合ったりする姿からたくさんの感動をもらいました。そんな余韻がまだ残る中、悲しくて怖いニュースに心が曇りました。世界中の多くの方が同じようなお気持ちになられたことと思います。教育や文化が豊かに育まれてきたこの現代において、また感染症の問題など、世界が手を取り合っていくべき今、なぜ人の命を奪う出来事が正義の名の元に起きるのでしょうか?このやりきれない気持ちを抱え、嘆くだけでなく、まず私自身がロシアやウクライナについて知る努力をしたいと思います。そして、両国はもちろん、世界の国々がオリンピックのアスリート達のように、互いを認め合い、問題に対して平和的解決の選択をされることを心から祈りたいと思います。国や個々の立場・役割を超越した同じ人間として、一人一人の内にある真心を信じて。
・ロシアのウクライナへの軍事侵攻は、アメリカを中心として事前の情報が漏れていたにもかかわらず、結局は誰も止められませんでした。不幸がウクライナの人々に降りかかるのを見ているだけで、何もできない自分が残念です。私は僅かばかりですが、ユニセフに寄付をしました。早くロシア軍が撤退するのを祈るばかりです。この軍事侵攻は、ロシアというよりも、プーチン個人の一方的な軍事侵攻なのだと思います。因みに私のロシア人の知人は、もはやロシアには住めないと出国を決めたそうです。ロシア人も不幸になりつつあるのですね。誰も特にならない紛争、奇跡が起きてでも早い収束を祈っています。
・この問題はイラクが、アフガンが、シリアが、ミャンマーが、カンボジアが、ルワンダが、さかのぼってベトナムが苦しんできたことにつながるもので、それにたいして私たちの住む世界が何をしてきたかにつながるものだと思っています。私たちが足元からお互いを理解し合い、助け合い、支え合う力を、と切に思います。
・この度のロシアによるウクライナ侵攻は、とても衝撃的で、21世紀の出来事とは思えません。このようなことが許されてはなりません。侵攻された側が多くの犠牲を払ったうえに、不利益な内容を飲まなければこの暴挙を停められないことに不条理を感じます。これ以上に子どもたちを悲しませないために、声を合わせて戦争に反対し、一刻も早い終結を望みます。
・今、報道を見て思う事です。何の罪もない命がうしなわれていく事、危険にさらされている事、特に幼い子どもたちの怯えた表情や涙、こどもを守れなかったと泣く母親の姿などには、胸がしめつけられます。日本に居て何ができるのか、ともどかしい気持ちでいっぱいです。いち早く平和を!を声を発することで、その声が集まる事で、風を起こすことができるのではないかと思い、これを書きました。
・今回のロシアの軍事侵略に、激しい怒りとともに一日も早く平和的解決がされることを願っています。また、この機会に乗じて日本の核保有についての発言が日本の政治家がしていることに断固抗議します。日本は世界で唯一の核兵器による被害の歴史を持った国として、世界に核兵器廃絶を訴えなければなりません。それを核兵器保有や改憲の議論にすり替えるような雰囲気を許しては力を力で押さえるようになり、世界は間違った方向にすすみます。ロシアの暴挙を止めさせる力は、平和を求める世界世論です。
・20代の頃、まだウクライナがソ連だった頃、訪れたことがあります。もちろんキエフにも。あの美しい街が爆撃で滅茶苦茶になり、平和に暮らしていた人が突然戦禍に見舞われる。理不尽で悲しいことです。何故このようなことが起きるのか?起こったのか?どうすればこのようなことが起こらないようにできるのか?そのためにはどんな行動をすればいいのか?どうすれば今起きている戦争を止めることができるのか?何をすれば戦禍に見舞われている人たちの力になれるのか?想うこと、考えること、語り合うこと、できることをすること。そのために集った皆さんに敬意を表します。
・何が起きるんだろう?早く戦争が終わることを祈ることしかできない。テレビの画面の中で「小さな男の子が、警官のお父さんとの別れで泣いてお父さんを叩いている姿。」小さい子どもでも、今、起こっていることを理解できるほど、すごく恐ろしいことが起こっているということ。涙がかれるまえに笑顔が戻ってほしいと願うばかり。ウクライナの国旗の青は空、黄色は麦畑だそうです。元の通りの青空と麦畑に戻ることを応援したいです。
・日々、コロナとウクライナ・・の報道に心痛む日々が続いています。いずれも多くの人々が亡くなり、困難な生活に追い込まれています。日本が戦争に突き進んでいた時代に思いをはせながら、何が正義なのか、何が正しいのか・・が全く反転してしまっている両者の関係・・。ただ、今回は強国が小国を飲み込もうとしている・・そこが当時の日本とは違います。平和への道筋が見えず、暗澹たる気持ちになります。全ての国々が軍事行動を起こさず、なんとか戦が収まるまで知恵を絞り続け、ウクライナの自主自立が保たれることを願います。私にはただ願うことしかできません。しかし、一人一人の願いと祈りが目に見えぬ大きなうねりとなって平和への道筋になるかもしれないという一縷の希望を捨てたくないと思っています。
・毎日、ウクライナの報道を見るたびに胸が痛みます。今こそ世界の一人ひとりが声を上げなければと思います。世界の人は今日の青空をどのようにみているのだろうか。世界をつなぐ青空はひとつ。誰もがこの青空に目をつむらず光を浴びられる世界に・・。一人ひとりの想いを紡いでこの青空に黄色い花を咲かせよう。血色の花は見たくない。
・ウクライナは滅びない。世界中で守りたい。My heart goes to all Ukuranians caught up in this horrific madness. Everyone in the world is praying for Ukuranian people. People in the world are with Ukranian people. Glory to Ukraine. Glory to the heroes.
一日も早くウクライナのみなさんに平和で安心な暮らしがもどるように心から願っています。Please stay safe.
戦争という選択肢はゼロ!どうして選ぶ理由があるのかわからない。生活を奪い命を奪い悲しみと怒りしか生まれないのに。平和な日々をつくりあげるのも人間。平和な日々を壊すのも人間。人間だけの世界じゃない。たくさんの動物も植物も自然も壊していくのは人間。人が変わればきっと・・国境を越えて助け合い支え合い仲良くしようよ。悲しい過去から学んで、よりみんなが世界中が平和に過ごせるように明るい未来になりますように。
・一分、一秒も早い沈静化・停戦を祈ります。ウクライナの絵本『てぶくろ』を読もうと思います。第3次大戦が起こりませんように。民族・宗教・風習・考え方、みんな違います。お互いが尊重できる世界になりますように。侵略は絶対ダメ。
・せんそうをしてもよいことは何もないので、みんななかよくしたい。
・ウクライナの人たちのことを考えると胸が痛みます。ひとの命、ひとの生活をいちばんに考えて、とにかく戦争が終わることを願っています。
・自分一人では何も行動できなくて、でも何かできることはないだろうかと悶々としていましたが、参加させていただき、皆さまのお話をお聞きして心に少し灯りがさしたように思えました。自分なりのできることをもう一度考えてできることをやっていきたいです。
・いろいろな角度からの意見やお気持ちをきくことができて勉強にもなりました。ありがとうございました。
・初めてこの様な会に参加させていただき、自分の未熟さ・狭量さを思い知らされましたが、一人一人は心から平和を願っておられることが心強く思えました。
・ウクライナの讃美歌と街並みが美し過ぎて、悲しみがより増しました。家族がはなればなれになっていたり、たくさんの犠牲者が出たり、何も誰も幸せでない戦い、早く終わってほしい。今日は、いろいろ気づきがありました。ありがとうございました。
・Let peace freedom and love reign in our hearts. No more hatred. Let’s treat each other as brothers and sisters, so violence and war will be prevented. We have a beautiful world to live! Let’s not waste it. Let’s think of our future generation, esp. our youth and children. Go back to basic educating our children, ‘War is not the answer’. We can talk in a peaceful way and resolve issues in a peaceful way.
・今回、ウクライナの情勢は胸がいたむ。プーチンはなぜ世界からの大反発を受けるのをわかりながら、あそこまでやるのか?アメリカが事前に知っているのに、なぜ止められなかったのか?また、戦争はウクライナだけでなく、アフガニスタンやシリア、パレスチナでも起きている。取り上げ方があまりに違うのはウクライナが白人社会だからか?もっとみんな世界情勢に敏感になる必要があると思う。今こそ、ジョン・レノンの「Imagine」の曲の理念こと広げていきたい。シリアも内戦前はとてもにぎやかで美しい国だった。内戦前に行かれた同僚が撮った写真を使った授業で、児童らに見せたことがある。美しい街を、人を破壊する戦争の醜さと愚かさを伝えたい。
・以前、ウクライナ出身のナターシャグジーさんのコンサートに教え子たちと参加し、共に舞台を創ったことがあります。チェルノブイリ原発事故の悲劇に心を寄せ、学びました。胸がつまります。まず、わたし達は、ここで立ち止まり、歴史から深く学ぶべきだと考えています。ソビエト連邦共和国の歴史、ロシアとウクライナの関係、NATOとロシアとの約束(口約束だとは言われていますが…)アメリカの世界に対する関わり方など。
とにかく、いかなる理由があろうとも、生命を奪う行為は許すことができません。プーチンの言動、選択は、絶対に許せません。特に子どもたちが傷つき、生命が奪われることには、辛くて眠れないほどです。しかし、ウクライナへの支援は、必要であると言われても、甘い考えですが、防弾チョッキを含めて武器の調達では絶対ないと思います。この現状を受け、日本では、「核の共有!」などと国会議員が言っていますが、とんでもないことです。絶対にあってはなりません。「自分の国は自分で守るしかない!憲法を変え、軍備の強化をすべき!」という世論も大きな声になってきていますが、ウクライナでは、一番に軍事施設が攻撃されました。軍備の強化は逆効果です。また、この狭い国に50基もある原発に爆弾が撃ち込まれたら、原爆が投下されたのと同じ状況が生まれます。ウクライナは広さが日本の1.6倍、そこに15基の原発しかない状況でも、原発への攻撃は脅しにつかわれ、恐怖です。
石油、ガスなどのエネルギーがとめられた時のことを考えると、日本ではCO2を出さない原発を再稼働するしかない!というのも愚かな考えです。原発は、発電時にCO2を出さないと言うだけで、海温め装置なので、CO2排出量はとても多いのです。また、エネルギーのために生命を脅かしてまで、最悪の原発に頼るということは、絶対にしてはならないと考えています。解決方法は、全世界からあらゆる葺と原発をすべて無くすしかないと考えます。とは言っても、それは理想で、今 目の前で起こっていることへの解決には直結しません。ウクライナの人々の生命を守るために、わたしにできること、日本政府にできること、ヨーロッパ、世界ができることは何なのか、 あれこれ連日考えていますが、「ロシア国民が、プーチンをとめる…」それしかないかと。そのため、ロシア国民のプーチン制止への言動につなぐために、わたし達に何ができるのか?究極は、ロシアに声を届けることと、経済面からのアプローチしかないかと…。わたし達は、政治=生活ということを忘れず、日々、無関心であってはならないと思います。生命より尊いものはないと言うことを、あらためてこころし、言動に表すべき、表したいと思います。諦めないことが重要でしょう!とにかく結論は出ません。どうしたらいいのか正直わかりません。これではいけないのですが、祈ることしかできないのが、正直なところです。
・このような会合が催されたことに、心から感謝と敬意を表します。何ができるのか、何をするのか考えて、行動しなければなりません。そう強く感じました。
・どこの国の人だからという区切りをなくして世界中の人が仲良くしたらいいと思います。
・幸せの感じ方は皆違います。互いを尊重し理解を深め合うことが、一人ひとりが生きやすい社会を育てていくように思います。今私たちにできることのひとつとして、このような考えを持ち続けたいと思います。
There are many ways to feel happy. I think that respecting each other and understanding deeply will bring up a society where each person can live comfortably. One of the things we can do now is to continue having like this thinking.
・私たちには住む家があり、温かい食事を摂ることができる。ここ数日の報道を見て、本当に幸せなことだと思います。しかし、ウクライナでは家族が離ればなれになり、自由が脅かされ、たくさんの民間人が犠牲になっています。その中には小さな子どもも含まれています。戦争によって子どもたちの明るい未来が奪われるのはとても悲しく、胸が痛みます。ウクライナの人々が安心して過ごせる日が早く来ることを祈るばかりです。
・一刻も早く平和な日々が戻ることを祈ります。
・今日震災から11年、同時刻に黙祷をささげました。一方、昨今の戦いのニュースに日々やりきれない思いが募ります。ネットニュースを見ても何が正しいのか?正しくないのか?そう言いながらもどのように反応すればいいのか憂慮する毎日です。
・刻々と報道される悲惨な様子に心がいたみます。動かなければ・・・と思います。毎日、ニュースを見るのが辛くなります。
・本当にウクライナの悲惨な状況を見ると、胸が痛くなり、辛いです。ドネーション、賛同します。一日も早く収束しますように。
・とにかく生き抜いて欲しい!世界中の皆が祈っています。
・ロシアのウクライナ侵攻は大国の小国に対する侵略戦争であり、大国ロシアの行為が誤りであって、如何なる理由があっても許されない非道の行為であることは明らかです。ただ、この事態を招くに至った背景として、ウクライナにも、NATO(西側軍事同盟)への接近がロシアへの強い脅威になってしまったという責任原因があったと思われます。戦争は、長い歴史から見ても、どちらかの国が100%悪く、どちらかの国が100%正しいということはなかったと思うのです。
しかし、国家の責任割合がどうであれ、間違いがないのは、戦争で犠牲になるのは、そこに住む市民(市井の人)だということです。本侵攻においても、ウクライナの市民に甚大な被害をもたらしているのはもとより、ロシアの市民も多大な犠牲を払っています。ロシア人兵士も既に6000人以上が死亡していると言われ、ロシア国内反戦デモは警察によって暴力的に制圧され、日本では在日ロシア人がSNS等で酷い中傷行為に晒されています。
ですから、戦争の本質とは、「国家間」の戦いというより、「国家権力」と「市民」の戦いというべきだと思います。異なる国家権力の権力奪取ゲームの矛先は、国家を超えた市民に向けられていると思うのです。
とすれば、戦争を無くする手段としては、一方当事者である市民が他方当事者の国家権力の横暴を止める力を持つことこそが、最も有効な手段であると思うのです。そして、市民がそのような力を持つためには、国家権力の濫用を許さない憲法の堅持と国家権力をコントロールできる民主主義・人権思想の醸成こそが重要であると思います。
ところが、本侵攻を契機に、与党タカ派の政治家がここぞとばかりに、憲法改正、軍事力増強、核共有論の議論を進めようとしています。しかい、それは、市民がコントロールすべき国家権力の増強でしかなく、むしろ、国家権力者の権力欲、名誉欲を増長し、結果、戦争ゲームをあおってゆくことに他ならないと思うのです。したがって、この論調は、とても危険な論調であると思うのです。
戦争を無くするためには軍事力の増強ではなく民主主義と人権思想の醸成が必要であるのですから、国の膨大な予算は、軍事力でなく、こども、国民の教育、国民の福祉、生活保障にもっと割かれるべきです。そして、障壁なく理念を実現するためには、わが国のエネルギー、農業等において自国経済の自立を目指す必要があり、そのための予算が割かれるべきです。そして、その余力は、他国への脅威でなく、他国への支援、すなわち、災害支援、経済支援に向けられるべきです。
そして、国家間で憎悪や脅威を蔓延させるのでなく、愛や思いやりの精神を伝播させるおとこそが必要であると思います。かつて、トルコ人は、串本沖のエルトゥワール号遭難者の救出で、また、ポーランド人は、シベリア出兵の際の戦争孤児救出で、日本人を敬愛してくれるようになりました。
わたしたちが国際社会で果たすべき役割は、まさに、日本国憲法前文で揚げられているのです。
「・・・日本国民は恒久の平和を念願し人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」
(前文第2段落抜粋)
そこで謳われている、われわれが目指すべき「名誉ある地位」とは、諸国民の脅威と疑惑にまみれた国際社会にではなく、諸国民の愛と信頼に満ちた国際社会における「名誉ある地位」なのです。
私たちに今できることは、家族、友人、公私の仲間等から始めて、ブルーアースの勉強会、そして、難民支援等国際協力支援の諸団体と、人々の輪を少しずつ広げ、愛と思いやりの精神を少しずつ広げてゆくことだと思います。
それは、私たちの目指す理想に向かう方法として、決して、微力ではなく、地に足を付けた堅実で確実な方法と思います。
私の好きな格言で「細部にこそ神は宿る」という格言があります。
私は、その意味を、「小さいところ」にこそ、「真実が刻まれる」という意味に解釈しています。
・市民をまきこむ戦いは理解できません。この責任を国は、国際社会はどうとるのでしょうか?一刻も早くどの戦いも対話によって停戦してほしいと願います。私自身は小さすぎて、何ができるのかと問われても返答に困惑します。家族や職場やその他のつながりの中でていねいで穏やかな対話をしていこう、少しでもウクライナのことを話題にしてみよう、募金をしようと思ったりしています。
・あつい心と冷静な頭を!
・今日はありがとうございました。日常の平和が全世界にもどってくる事を願います。今、自分にできる小さな、ささいな事を続けていきたいと思います。正しく知る、正しく理解する、大切なことだと思います。
・今一番思う事はウクライナとロシアの戦争が早く終わることです。今日、みなさんのお話を聴かせていただき、いろんな人の思い、考えを聴くことがあらためて大事だと思いました。色んな事を聴き、考える事、今できる事をやっていきたいと思いました。
・戦争が早く終わることを願っています。
・このような集まりにはじめて参加いたしました。日本に力をつけるとお話されたこと、いたく心にひびきました。一人一人が多面的に物事をみていくことが大切だと共感しました。
・実は今手元に1981年にモスクワに旅行した時のガイドブックを2冊手元に置いたところです。もちろん旧ソビエトです。
1981年夏に2-3週間ナホトカからモスクワまでシベリア鉄道で行きました。列車の中で多くの旅行者と出会いモスクワで別れました。
次どうするかと考えたときにウクライナのキエフに行きたくガイドブックでキエフを調べたり向こうのガイドに聞いたりしました。
モスクワから鉄道一本で簡単にいけそうでした。とはいうものの大きくまる一日はかかりますが。
ともかく美しい街だときき行きたい心が動きましたが残念ながら当時日程の関係で行けずです。
定年になりいつか再びシベリア鉄道でモスクワの周辺からヨーロッパの国に行ってみたい気持ちになっていたところです。
モスクワは何となく無機質的な雰囲気がありましたが、ウクライナは芸術の共和国(当時)、キエフはソビエト3番目の大都市。森の都 緑の多い年の中でも最も美しい街、日本の京都とも姉妹都市などと書かれてあり次はと思っていました。
街が破壊される映像をみて同時に少し映る森林の中の都市をみてなんとも言えない気持ちになっているところです。当時はソ連のアフガン侵攻でロシア語の第2外国語の選択者が極端に少なく逆に勉強したくなり選択しました。 同じ第2外国語選択者の中に、中国からの留学生がいて、ロシア語が中国では必修として学ぶとも聞きました。
この旅行を出発前に祖父に行くのだと伝えたところ祖父は終戦時ピョンヤンに住んでおり 終戦後家族で帰国するにあたってロシア人にたいそう世話になった話をしてくれました。終戦直後のロシアを悪く言う人が多いですが、祖父は異なっていました。そして、僕の旅行をとても喜んでくれていました。まさに人を憎まずです。
ロシアとウクライナに再び安全に旅行できる日が来ることを願うばかりです。
・国家権力と市民。
国家権力を行使するのも国家権力を支持して支えるのは国民であり、権力に対抗する市民もまた国民です。
国民対国民、そしてこの2つの国民は連続していて、移り変わる。
地球の全ての人間に広く民主主義と人権意識が醸成されれば、戦争という民主主義と人権とは真逆の行為は無くなるでしょう。
それには今のように国が乱立して、それぞれが戦力を持ち、主権を持つ体制で可能なのか。それともEUのような地域連合に戦力や主権を委ね、さらに統合を重ね1つの地球市民となるプロセスを進む過程において醸成されていくものなのか。
いずれにしても現状ではまだまだ達成し得ない大きな課題ではあります。
そこに至るまで人はまだどのくらいの戦争を経験しなければならないのか。そもそもそこに至ることが人に出来るのか。
人類の歴史は戦争と平和の歴史です。
果たして人類は平和だけの歴史をつくることができるのでしょうか。
答えはわかりません。が、その未来を信じ、その未来のために考え、行動すること、現在起きている戦争にNOと意志表示すること等は出来ますよね。
・1991年1月17日。アメリカがイラクを空爆して、湾岸戦争がはじまった。
あんとき、僕は南米ペルーの首都リマで暮らしはじめたばっかりで、まだ『ペンシオン西海』の宿泊客兼管理人をしていて、夜毎、『カラオケ・リス』に繰り出しては、マリア1号、マリア2号、マリア3号らと遊んでいた。
リマには日本の商社が支店を置いていたし、大きな日系人コミュニティもあったので、カラオケスナックが何軒かあった。「カラオケ」の席巻具合は凄まじく、90年代にはすでにスペイン語にも英語にもなっていて、日本で主流だったレーザーディスクのカラオケが、南米でも同時に主流になっていた。
『カラオケ・リス』は、外国語にもなった「karaoke」を象徴するような店で、日本人や日系人の客など滅多に来ず、店のおねーちゃんたちは日本語が話せず、日本語の歌の意味もわからず、でも耳コピした日本語歌詞をアルファベットに置き換えて自ら手書きした歌詞ノートを手に、日本語の歌謡曲や演歌を何百曲とレパートリーに持っているマリアが3人いるという、不思議な店だった。マリアは、聖母マリア信仰の厚いペルーで最も多い名前だ。
僕はこの店のマリアたちに、日本の古い演歌や軍歌を何曲教わったかわからないほどだ。
その日は、僕の誕生日パーティをしてもらうことになっていて、ペンシオンで晩ごはんを食べた後、いつものようにバスに乗って『カラオケ・リス』に向かい、いつもように心軽やかに木製の重い扉を押した。いつものように、1号から3号のマリアたちが僕を出迎えてくれるはずだ。ライフ・イズ・パーティ! 夜を楽しもう☆
が、しかし、1号も2号も3号も誰ひとりとして出迎えることなく、店に入ってきた僕に一瞥もくれることなく、テレビの画面に釘付けになっていた。今日は、僕の誕生日ではなかったのだろうか? お祝いをしてくれるのでは、なかったのだろうか?
テレビの画面には、ホワイトハウスが映し出されていた。画面下には「casa blanca」とテロップがあり、モロッコがどうしたの?と一瞬考え、それがワシントンのホワイトハウスのスペイン語訳だと気づくのに、少し時間がかかった。それくらい、他人事だったのだ。だってここはペルーだ。
しかし、他人事だったのはどうやら僕だけで、1号や2号や3号たちにとっては、他人事ではなかった。
僕の誕生日の夜、アメリカがイラクを空爆し、湾岸戦争が勃発した。
たしかに心を痛める出来事だが、それでもまだ、僕にとっては他人事だった。どうして1号も2号も3号も、僕を祝ってくれないのだろう?
「私の甥がイラクに行っているの」。
1号が僕にそう言った。
「私の幼なじみがイラクに行っているの」。
3号が僕にそう言った。
訳がわからなかった。だってこの戦争はアメリカとイラクの戦争で、ここはペルーで、1号も2号も3号もペルーのおねーちゃんたちで、それなのにどうして、甥や幼なじみがイラクにいるのだろう? そしてテレビは、どうして延々とホワイトハウスを映しているのだろう?
階級が固定され、格差が大きなペルーで一発逆転を目論むなら、国を出るしかない。ペルーでは多くの人がアメリカンドリームを目指して、北を目指す。北を目指すが、アメリカに入国しても、グリーンカードや永住資格やワーキングビザがもらえるわけではなく、多くは不法滞在者となってカネを稼ぐことになる。見つかれば、国外退去だ。
その状況から抜け出す道が、ひとつだけある。アメリカの軍隊に入隊することだ。アメリカでは、軍隊は、永住権がない人でも雇用されれば市民権を取得できる唯一の雇い主だ。
1号の甥と3号の幼なじみはアメリカ陸軍に入隊しており、すでにイラクに派兵されているかもしれないと言う。アメリカとイラクの戦争に、ペルー人がいる。アメリカとイラクの戦争に、当事者の意識で固唾を見守っているペルー人がいる。ペルーのテレビでホワイトハウスが延々と映し出されているのは、他人事ではないペルー人がたくさんいるということだ。
風が吹けば桶屋が儲かるように、イラクとアメリカの戦争にペルー人が派兵され、残されたペルー人の家族や友人が僕の誕生日そっちのけで、心を痛めている。イラクとアメリカの戦争の銃後のさらに後ろに南米大陸があり、ペルーという国がある。このバタフライ効果のような事実は、僕が見ている世界を一気に小さくした。カネだけを出した日本は批判され、カネのない食いっぱぐれの貧乏人が自らの出自と関係なく、相手に銃を向けている。
古今東西、軍隊に入る人たちは、食いっぱぐれの貧乏人と相場が決まっている。軍隊に入ればメシが食える。1号の甥も3号の幼なじみも、究極は、メシを食うためにアメリカ軍に志願し、イラクにいる。あの当時、アメリカ軍には、アメリカ国籍を持たない中南米の人たちが、たくさんいた。戦争が、互いの未来を奪い合う行為だとしたら、イラク人とペルー人が互いの未来を奪い合うことには、どのような理があったんだろうか? 彼らは、一体誰と、何と闘っていたのだろうか?
現在のロシア軍には約90万人が服務しており、うち30万人が徴兵された人たちで、60万人が志願兵だそうだ。愛国心から志願した人も多いのだろうが、食いっぱぐれて志願した人も多いだろう。
2015年から、ロシア軍に入隊するのにロシアのパスポートは必要なくなったそうだ。つまり、国籍は問わない、ということだ。
ウクライナ人と互いの未来を奪い合おうとしているロシア兵とは、いったい何者なのだろうか? 彼らは何と闘っているのだろうか?
・「ウクライナ民話 てぶくろ」
我が家にあるこの本は、30数年前、子どもが幼稚園児だった時のママ友さんからいただいたものです。
娘と息子が読み、ずーっと本棚に眠ってました。孫が生まれ、またこの本を読み聞かせることができました。その時は「みんななかよく、たすけあいましょうね」と温かく、ほんわか、ゆったりと読んでいました。
今、この本をこのような気持ちで読むことができないでいます。暗い気持ちになります。
いろいろな生き物はいろんな民族、手袋はウクライナ、おじいさんはロシア。おじいさんが手袋を取りに来て皆バラバラに。
来週、孫たちが来ます。「てぶくろ」を読んであげるつもりです。
どのように感じてくれるか楽しみにしています。 優しいおじいさんとてぶくろ、また皆が戻ってきててぶくろというお話を、温かく、ゆったりと、ほんわかと読める日が来ることを祈っています。
・ウクライナで起こっていることは一体どういうことなのでしょう。実質的には戦争なのでしょうが、宣戦布告をしていないので、形式的には戦争とは呼べないことなのでしょうか。
人を殺すということが実際行われており、それは許しがたいことです。
国家が武力を使って問題解決をしようとするとき、その態度や行動は民主的手続きに基づいて決められることはありません。今回も、ロシアの市民は多くを知らないままでしょう――知らされていないと言った方が正確でしょう。専制国家の翼賛状況でコトは進められます。(アメリカ合州国は、第二次世界大戦を最後に、議会は一度も宣戦布告をしていませんが、この間もっともも多くの戦闘行為を行ってきた国家です。9.11の後、「反テロ戦争」に入りましたが、この時は武力行使を認める決議に反対したのはたった一人の議員だけでした。専制国家でなくとも翼賛体制が出来上がってしまいます。)
僕は、この一か月間、日本のことが気になって仕方ありません――ウクライナの状況を他人ごとだととらえているのではありません。
かつて日本は軍事力で国境線の変更を強いました。第二次世界大戦ではアジア・太平洋地域では2000万を超える人の命が奪われ、日本人の犠牲者は310万人でした。軍事行動には合理性はなく、有効でもなく、無益に帰すものであることを、日本は学んだハズです。そういう経験を持つ者として、軍事力で何かを成し遂げようとすることの無意味さを、客観的に世界に訴えることができる立場に日本はいるのではないでしょうか。日本国憲法前文はそういう国家になりたいという宣言です。しかし、戦後、日本社会はアジア・太平洋の諸国ときちんと向き合わないままに、常に米国の側にいます。これでは前文にある理念を実践するのは無理というものではないでしょうか。
米軍はインド洋の西のモーリシャスに、グアムに、ハワイに、そして沖縄に基地を持っています。そしてソコは植民地的に支配されています――「自由で開かれたインド・太平洋」とか「QUAD(日米豪印)」はそういう構造のもとにあり、日本政府はこれを積極的に進めつつあります。軍事(広島・長崎)と民生(福島)のどちらもの核被害を受けた日本社会は核――兵器も発電も――の廃絶を訴える資格があるにもかかわらず、ことに今回のウクライナの状況を利用して、核の拡大政策を声高に言い出した人たちがいます。冷静に考えれば、核の廃絶が安全や平和につながることは明白です。その努力こそ意味があるにもかかわらず、正反対のことを唱えるのは安全や平和を望まないことなのでしょう。こういう人たちは、過去を見て「日本をとりもどす」とか「アメリカをとりもどす」などと言います――「ソ連をとりもどす」というのも同じです。論理的に考えず、気分が先行する思考になっています。ニュース番組の中で”I am not ABE”と書いた人は批判され、その番組から降ろされましたが、今回ロシアのニュース番組の中で”NO WAR”と書いた人は称賛されています。こういうのをダブル・スタンダードというのでしょう。
今の日本は、専制国家ではなく民主国家でしょうか、翼賛的になっていないでしょうか。社会が怪しい情況にあるときには、市民が自由に喋り合うことがとても大切だと思います。無駄のない効率的な社会が理想のように語られることが少なくありませんが、オシャベリはそういう主流の脇にある遊水池のような存在かもしれません――流れを緩やかにして、横に外れて溜まることで氾濫を防ぐ。そういう場所を意図して作る、意識的に設ける知恵がオシャベリというわけです。
フランク・パヴロフという心理学者が書いた寓話『茶色の朝』(大月書店)は、読んで楽しい本ではありませんが、こんな状況になってしまったいま読む価値のある本です――いや、こうなる前に読んでおくのがよかったのでしょうが、遅すぎるということはありません。お薦め本です。
・日本からは、本当に何ができるのか、無力さを感じています。
戦争には反対しながらも、こちらでは、役者として特攻隊の舞台に出て、少しでも皆さんの関心が高まればと思っていました。それでも平和な国でいるという気持ちもあったのだと思います。本当にウクライナ侵攻が実際に起こったことは信じ難く、子どもたちが亡くなったことには、深く憤りと、やり場のない悲しみを感じて止みません。
どうか一瞬でも早く、平和的解決を。そして戦場となったウクライナの復興を願います。
・ウクライナの状況に対して国際社会が働き続け、平和的解決を。
・世界の一人ひとりの心に平和が育つようにと祈ります。
・ウクライナとロシアの間で調整できる機関や人が必要だと思います。
・ドイツのメルケルさんはロシアに働きかけることはできないでしょうか?
・平和を望むロシアの人たちが声をあげられないことはとても苦しいことだと思います。自由がいかに大切かと思い知らされます。
・ウクライナの人たちのことを考え続け、少しでもできることを見つけていきたいです。
・独裁ではなく民主主義の文化をつくっていくのは私たち一人ひとりですね。
・ロシアの市民の皆さんの中にも自由に表現できないことで苦しんでおられる人がたくさんおられることを知りました。
・とにかくウクライナ市民の命を奪わないでほしい。
・戦争に慣れないように、心があきらめることのないように、一日一日を過ごしていかなければと感じています。
・武力での解決を目指すとより深刻な武力が用いられることになり、より多くの市民が犠牲になると感じます。
・関係者と粘り強い対話ができる個人・機関に平和的解決に向かう方向を目指してもらいたい。
・戦争が長引けば、大切な命が失われます。一刻も早い停戦・終戦を願います。
・子どもたちが戦争に行き、命を失うことに反対します。どの国の子どもも親も穏やかに幸せに暮らせるようにと祈ります。
・対立する国同士が対話ができるように、協調できるように、間に立つ機関が早く機能するようになってほしいです。
・私たち個人も人と人の間に立てる力とあり方を育てていき、それぞれの立場で、人と人、組織と組織、国と国の間の調整ができるように学び続ける必要があると感じています。