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ハートフル リーディング/heartful reading

 

ハートフル リーディング/heartful readingプロジェクトメンバーより皆さまへ

 

私たちの朗読を聴いて下さり、有難うございます。

 

メンバー全員、こうして朗読を発信できる場が出来たことを、とても嬉しく思っております。

 

尚、今後は活動名をハートフルリーディング(heartful reading)として、月1回程度を目安に不定期で配信させて頂きます。

 

人の心に寄り添い、思いやりの種を育てていけるようにメンバー一同 心を込めて朗読させて頂きます。

 

ひとときの癒しの時間を共有して頂ければ幸いです。

 

また皆さんとお会いできる時期がまいりましたら、国内外のドネーションに繋がる朗読イベントを開催させていただきます。

 

どうぞよろしくお願い致します(*^_^*)

 

 

プロジェクトメンバー:

チコ(リーダー) / 川野裕満子 / 田中人美

 

朗読作品




#29「白いワンピース」 / 作・読み手:川野裕満子 / 2021年9月11日 / オリジナル作品

この世に生を受けてから長きを共にしてきた両親が亡くなって、、

私は考えた。

私と一番長く関わって来た人って誰だろう?

夫? 確かに長い付き合いだ。けれど私には夫よりもはるかに長い時間を共に過ごしている友人がいるのだ。

「幼なじみ」と言うようなノスタルジックなものでもない。なんせお互いを「変わっている」と思っているのだ。そう思いながら半世紀を越えて付き合っている。

女性は結婚、出産を機に、著しく友人が変化していく。勿論、一定期間をおいて友情が復活することもある。けれどたいていは消去されたままになっている。そんな中、彼女だけは付かず離れずの距離で私のそばにいるのだ。

たまに連絡をとって会う。それがまた不思議なことに、どちらかが一方的に連絡をするのではなく、同じぐらいの頻度で連絡を取り合う。

一年ほど前の事、彼女から電話があった。彼女からの連絡はいつも電話で生声である。

「買い物に付き合ってくれない?」

「買い物?何を買うの?」

「ワンピース。主人の母の喜寿のお祝いパーティーに着ていく服がないのよ。」

何でワンピースなんだろう?と一瞬思ったけれど、彼女とは全てにおいて趣味も好みも違うのであえて聞かない。

「いいわよ」と軽く返事をして電話を切る。

彼女には行きつけのブティックがあるという。私はその店で彼女に合う服を選ぶことになった。こじんまりとした程よいセンスが感じられる店で!私も少しウキウキしてくる。やはり色とりどりの新しい服に囲まれるとテンションは上がる。

試着室から出てきた彼女を見て、若い店員が「お客様、妊婦様でしたか!」と彼女のウエストの辺りに視線を固定させたまま言った。

確かに、彼女は少しぽっちゃりしている。けれど妊婦なんて、、。

接客業失格だと言われても仕方ないぐらいの暴言だと思う。

「ちょっと、失礼な人ね、。」と私が言いかけた時、彼女が「おめでただと嬉しいんですけどね」と肯定も否定もせず、しかもにこにこ微笑みながら返事をしたのだ。

あろうことか、白いワンピースを着ている。

何で白なの?白は膨張色。私なら絶対に選びはしない。

その後、何着か試着して結局彼女は最初に着てみた白いワンピースを買った。

店を出て「全く、、最近の若い子は物の言い方を知らないんだから。」と文句を言うと 「あら、どうして。正直な子じゃないの。私、まだ妊娠できる年齢に見えるってことでしょう?そんなに私って若く見えるのかな?」と本心から喜んでいるのだ。一事が万事こういう友人である。

コロナが世の中にはびこって、人に会う機会もめっきり減った。

もともとずぼらな私は、化粧もせずスウェットの上下姿で日がな一日家の中でぐだぐたと過ごすようになった。

ある日、郵便局への用事を思いだし、さすがにスウェットでは不味いと思い、下だけをジーンズにはきかえて出掛けた。マスクをしているし、郵便局はすぐ近くなのでノーメイクのままだ。

用事を済ませ、郵便局を出たところで

「山田?山田じゃないか?」と声をかけられた。山田は私の旧姓である。私自身ずいぶん耳にしない名前だ。「えっ!」驚いて振り向くと、中学時代、全女性の憧れであった栗田君が立っていた。栗田君はサッカー部のキャプテンで多分学年を超えて人気No.1の男子だった。私も陰ながら胸をキュンキュンさせたものだ。

「元気にしてる?マスクをしててもすぐに分かったよ!」と言われて、気がついた。

ノーメイクにスウェット、髪はぼさぼさ、よりにもよってこんな時に会うなんて。男子は時がたつと、身体の様々な部分に支障をきたすものである。けれど目の前の彼は、若干全体に肉付きはよくなっていたが、日焼けして背も高く、何より人気者のオーラは健在だった。

「せっかく会えたんだから、今度ミニ同窓会でもしようよ」と言われたが、私はうつむき加減で「うん、そうね」と言うのがやっとだった。

家に帰って、この出会いを誰かに伝えたくてスマホを手にした。こんな時に思い浮かぶのが、彼女だ。

「ねえねえ、凄い人に会ったよ」

「ふーん」と気のない返事。かまわず

「ほら、中学時代に人気No.1だった栗田君、その栗田君に会ったのよ。彼、ちっとも変わってなくて、相変わらずかっこよくて、、

でも私ったら、、

会いたくない時に限って知り合いに会うってほんとよね。まさにそれよ。私、ノーメイクに普段着だったの。ショックだわ。40年ぶりなのよ。どうせ会うならもっと気合いを入れて会いたかったわよ。」ひととおりしゃべり終わると彼女が

「よかったじゃない!気合いを入れて念入りに化粧していたら栗田君、あなただって気づかずに声をかけてくれなかったかも。きっと40年前のあなたが目の前に現れたから、声をかけてくれたんじゃない?15歳。15歳よ。めちゃくちゃ若いのよ、あなたは」と言うのだ。

 

そうか、私って、若いんだ。

今になってなんとなく私が彼女と付き合っているわけがわかったような気がする。中学校のミニ同窓会に彼女とふたり、白いワンピースを着て出席するのも悪くないなと思った。

          了





#28「片道切符」 / 作:上司幾太 / 読み手:人美 / 2021年8月1日 / 星空文庫

 母さんは、私にこの片道切符を渡したくはなかったんだろう。  

 駅の改札口で、汽車に乗るための片道切符を、母さんは両手で私の前に差し出した。その切符を片手で受け取ろうとしたが、なかなか母さんの両手から引き抜けない。真夏だったこともあり、母さんの手は汗でびっしょりになっていて、切符はその汗でしけっていた。片手で引き抜けない切符を持ちながら私は、「母さん」とひと言いうと、母さんは我に返ったように 「ああ…ごめんよ」と言って、両手でしっかり握っていたきっぷを手から離す。  

 母さんは下を向いて悲しそうな表情をしている。そんな母さんを見ていられずに私は、「母さん、戦地に行くからと言って、もう戻ってこないわけじゃないよ」と言った。  

 そうすると母さんは「そうだね、戻って来ないわけじゃない。そうだよね」と、その言葉は嘘と分かっていながら、母さんは悲しさを隠しながら無理に笑う。  

 汽車の汽笛の音が聞こえた。

 「じゃあ母さん、もう行かなくちゃ」と母さんに私はこえをかけると、母さんは「体に気をつけてね」と最後まで私の心配をしながら見送ってくれた。  

 「バンザーイ! バンザーイ!」

他にも見送りに来てくれた人達が私に向かって叫ぶ。私はその声に振り返ることなく、真っ黒の汽車にゆっくりと乗り込んだ。  

 私は乗車口側の窓際に腰掛け、悲しそうな顔をした母さんの方を見つめていた。  

 汽車が走り出すと母さんとのきょりが徐々に離れていく。  

 いつしか母さんの姿は見えなくなり、私の目からは今まで我慢していた涙が溢れ出してきた。  

 今、母さんを思い出させるのは、右手に握っている母さんの汗でしけった「片道切符」だけだった。





#27「法隆寺」 / 作:本田美和 / 読み手:川野裕満子 / 2021年7月10日 / 作者掲載許可済み

やはりこの道しかなかった。この塔の前に立つといつもそんな気持ちになる。それがこの建造物の威力なのだろう。聖徳太子が亡くなった父のために建立した法隆寺は、紛れもなく良平の故郷であり、五重塔の心柱は彼の心の礎だ。幼い頃、たった一度父に連れられここへ来た。母が道ならぬ恋の末に良平が生まれたから、普通の親子関係とは違う。月に一度会うだけの父は、それでも良平にとって絆というぬくもりを運ぶ大切な人だった。ただ母との関係は最悪で会うたびに大喧嘩をしていたからいつも良平を困惑させた。そう、あの時も夫婦喧嘩が原因だった。

良平は子供の頃から宮大工に憧れていた。法隆寺五重塔はどの角度からも素晴らしく特に心柱の巧妙な建築仕様は今の時代でも圧巻だ。いつかあの塔のように屈強で耐震性のある建築物を造りたい。人々が安全に安心して過ごせる建物を遺せるような建築かを目指す、いつしかこんな夢が芽生えた。だから父から五重塔の模型セットをプレゼントされたときの喜びはひとしおだった。良平は、昼も夜もなく夢中で模型を作ることに集中した。幼い良平は、月に一度だけやってくる父に認めてもらいたい一心で、黙々とその塔の完成を目指した。ようやく完成して父に誉めてもらえることを楽しみにしていたあの日、また夫婦喧嘩は始まった。いつもは父が母の怒りを飲み込む形で何とか収まるのだが、あの日はそうはいかなかった。珍しく父が手を挙げて母の頬を強く打った。振り上げた手を下ろそうとしたその時、父の肘が良平の模型に当たったのだ。精巧に作り上げたその塔は、一瞬にして粉々に壊れた。

何するんや!俺の塔を返せ!

父に怒りをぶつけた最初で最後の日になった。その日以来、父は姿を見せなくなったのだ。良平は、ただ泣きながら粉々になった塔の破片を拾い集めて心に誓った。

いつか父を母を、そして愛人の子と蔑んだ者達を見返してやると。俺は俺の道をゆく。こうして良平の戦は始まったのだ。どんなに貧しくとも、片親であっても学ぶことは唯一平等な権利だと気づいた。だから必死になって勉強をした。特待生で大学へ入学し建築を志した。いつか自分の塔を建てることだけを夢見ながら。

最初は父母へのやりきれない思いが良平を奮起させていたのかもしれない。しかし、その心は建築学を学ぶに連れ大きく変わっていった。建築物が人の心をつくるということ。空間を捉える心が傾いていれば造られた建築物も歪んでしまう。俺は、真っ直ぐに伸びる安心で安全な塔を造りたい。この気持ちだけはずっと変わらなかった。

 

その大きなプロジェクトへの参戦は、良平が大手ゼネコンに入社して5年目のことだった。当初は建築家を志していた良平だが、大学時代に巡り会った建物の特殊工法の専門分野の研究に没頭した。壁状に連続した杭に節を付け、建物の転倒防止と引き抜き、押し込みの力に効率よく強力に抵抗する技術が採用されることになり、良平はメンバーのひとりとして携わることになったのだ。古代からその姿を変えることなく存在する五重塔を支える技術と自分が打ち込んできた地中壁の工法が結び付くことで屈強な高層タワーを完成へと導く。その一助になれたことは良平の心に明日という希望の灯りを灯してくれた。

 

地上から634メートルに及ぶ高さから眺める都会のパノラマは見事だ。良平は5才の愛息子の手を引いて久々に自分が手掛けた塔にやってきた。この小さな手は絶対に離さないで何があっても俺が守る。儚い家族のかたちはあの法隆寺の模型が壊れたことで、終わったのだから。けれど過去の声は良平を捉えて離さない。母から久々に連絡があり

「今さらやけど、お父ちゃんから手紙が来てな。認知症やて。自分が良平を忘れる前にもう一度だけ会いたいって。今日の用事はそれだけ。伝えたから電話切るよ。あんたの好きにしたらええから。」相変わらずこちらの気持ちお構い無しで言いたいことだけ告げるとその電話は切れた。

無視しても良かったのかもしれない。けれどこれが最後になるかもしれないと思うと、自分に背を向けた父の背中が無性に懐かしくなる。せめて大きな塔を作る仕事に携わることが出来たことを話してみたい。迷った末に、母から聞いた介護施設を訪れる前に良平はひとり法隆寺へやってきたのだった。結論の出ないまま最古の肖像画の前に佇めば「和を以て尊しとなす」という聖徳太子の言葉が心に刺さる。あなたの言い分も分かるが、ここはひとつ相手の声にも耳を傾けてみてはどうか。連綿と受け継がれてきた言霊の力が良平の背中を押してくれる。

こうして良平は、認知症の父をひとりで訪れることにしたのだ。

受付で教えられた部屋番号の前まで行くと、ロビーの向こうに見慣れた顔があった。父は、ぼんやりと見るともなく窓から斑鳩の空を見つめていた。

「お父ちゃん、お久しぶりです。」

「ああ、どうも。洗濯物は、今日はありません。」

「そ、そうですか」

「息子がおるんですわ、わたしには。」

「えっ?はい。」

「息子が高い塔を造ったらしいんです。オタクは、行かれたことありますか?その塔に。」

「あ、はい。つい最近も5才の息子を連れて行きました。」

「そうですか。わざわざ行って下さったんですか。ありがとうございます。その塔は、わたしの息子が造りました。ありがとうございます。」

そう言って、老人は何度も何度も頭を下げた。

良平は、老人の手を強く握ると

「今度わたしが塔へご案内します。一緒に塔に昇ってみませんか。」

「ご親切にどうもありがとうございます。けど、訳あって、息子には会わせる顔がありまへんのや。」

「息子さん、きっと喜んでくださいますよ。」

良平は、父の座る車椅子を押して部屋までの距離をゆっくりと進んだ。

相変わらず、俺はちっちぇなあ。

慌てて天井を見上げたが間に合わない。

涙と鼻水が後から後からこぼれて、良平のマスクを濡らしていった。

    了





#26「Come Rain Or Come Shine」 / 作:水城ゆう / 読み手:人美 / 2021年6月5日 / 水色文庫

「今日はおひとりですか?」

「そうなの。今日はひとり…」

「何かあったんですか?」

「ううん、特にどうってわけでもないの。なんとなく、一人で飲みたい気分になっただけ」

「何飲みます?」

「そうね…マスター、いつもの…」

「モスコミュールですね」

「ええ…雨はまだだけど、何となく生暖かくていや。あたし、梅雨って苦手…マスターは?」

「僕も苦手です」

「梅雨どきに合う曲って何があるの?雨の曲…」

「Come Rain Or Come Shine」

「ふうん、それ、どう訳すの?」

「降っても晴れても」

「あぁ…これが、Come Rain Or Come Shineなんだ…誰の曲?」

「ウィントン・ケリー」

「知らないな…」

 

店には彼女以外、客は誰もいない。

バーテンダーの池田は、カウンターの端の換気扇の下で煙草を吸っている。

シングルノートを多用したウィントン・ケリーの明快なピアノソロの合間に、エアコンの音がかすかに聞こえている。

静かな夜だった。

 

彼に初めてこの店に連れてきてもらった時も、こんな静かな夜だった。

彼はジャズが好きで、しかし私は全く知らなかった。聴くのはいつもロックかJポップ。ほんとのことを言うと、今でもジャズはよくわからない。でもこの店の雰囲気は大好きだ。

彼と別れようと決めた時、最後にもう一度、ここに来てみようと思った。ここは彼のホームグラウンドの店。

別れればもう二度と来ることもないだろう。

灰皿と煙草を一本くれないかとマスターに頼んだ。ずっと辞めていた煙草を、彼からこの店で久しぶりに貰いタバコをしたことを思い出したのだ。

あの時の煙草の味は、はっきりと覚えている。

 

マスターが新しい煙草の封を切っている。自分の煙草はまだ残っているのに。

「一本だけでいいのよ」

「わかってますよ。でも、あの人と同じ煙草を吸いたいんでしょう」

新しい煙草を一本降り出し、差し出す。私は抜き取り、差し出されたライターの火をつけた。

ふうー

 

「マスター、誰だっけ?このピアノ」

「ウィントン・ケリーですよ」

「ふうん…」

 

たなびいている煙を払うように、ウィントンのシングルノートがいくつも転がってきて、彼女の目から涙がこぼれた。





#25「母の顔」 作・読み手:川野裕満子 / 2021年5月4日 / オリジナル作品

 

母の顔 転んでしまった。それも思い切り、、。

春もそろそろ終わりを告げようという頃、私は久しぶりに学生時代の友人宅を訪れ、パッチワークに使う為のカラフルでポップな柄の布を沢山わけてもらった。壁にかけられた友人の作った大作のタペストリーを眺めながらふたりでゆっくりとティータイムを過ごす。

初夏の眩しい日の光がリビングの出窓を通して差し込んでくる。

今夜、家族は留守で夕飯は珍しく私ひとりであった。

私はひとりの夕食を少しリッチにするために帰る途中、デパ地下に寄った。時間に追われることのない私は久し振りのデパ地下に珍しさも手伝って、あっという間に両手はいっぱいの紙袋でふさがってしまった。

満足した私はデパ地下からJRの駅に続く通路を足早に歩く。エスカレーターを昇った先にJRの駅がある。

エスカレーターの最終段に差し掛かった時、つま先に何かが引っかかる様な違和感を覚えた。と同時に左側を凄い勢いで男性がかけのぼってきた。私はその男性に強く押される形となった。

その瞬間、転んだのだ。それも思い切り、、。

両手が荷物でふさがっていたために手が出ず顔面からコンクリートにたたきつけられた。

なに?なにが起こったの?目の前に荷物が散乱している。

「大丈夫ですか?」

「たてますか?」

夕方のラッシュ時でもあり、私をよけて通りすぎていく人もあれば優しく声をかけてくれる人もいる。でも私はひどく恥ずかしくて、お願いほっておいて下さいと心で願いながら急いで立ち上がり荷物をかき集めて逃げるようにその場をあとにした。駅構内にあるトイレに駆け込んで、私ははじめて痛みを感じた。マスクをしていて気づかなかったのだが鼻血まで出ていた。鼻の下も少し切れていたのだ。幸いトイレには誰もいなかった。

私はトイレの洗面台の鏡に映る自分の顔と対面した。

「ひどい」恐る恐るマスクを取るとそこには顔の右半分特に頬から上の目の周りが赤黒く腫れ上っている。

歯が折れているかも、、と思い、慌てて舌を上顎に添って這わせてみたが大丈夫そうだ。もしこのまま暴漢に襲われたと言って警察署に駆け込んだとしてもきっと誰も疑わないだろう。私はしばらく呆然と自分の顔と向き合っていた。

ふと鏡の中の顔に見覚えがあることに気がついた。

母だ。7年前に亡くなった母の顔だ。

私の母はせっかちで何でも自分でやらないと気がすまない人だった。大病を患い足腰が弱ってからもその性格は変わらなかった。要するに肉体と精神のバランスが崩れかけていたのだ。勿論、周りはその事を十分承知していたが、勝ち気な母だけは理解していなかった。

「ベッドから離れるときは必ず呼んでね」と私は何度となく母に言っていた。しかしそれはいつもドスンという大きな物音として私に返ってきた。母のもとへ駆けつけるとベッドの横で尻餅をついている母がいた。そう言うことが何度かあった。

その度に私は

「年を取ると、転倒が一番ダメなのよ。骨を折ったら寝たきりになっちゃうんだから」と強く言っていた。

ある時いつもより大きな音に私は不安を覚えて母のもとへ急いだ。すると母は、顔を床につっぷして倒れていた。私を驚かせたのは母の顔だった。寝ころんだまま私の方に振り向いた母の顔が血まみれだった。顔の出血は些細な傷でも大量であるということは後になって知った。私は慌てて母を抱き起こしベッドに座らせる。その時の母は自力では立ち上がることも出来なくなっていた。私は清潔なタオルを湿らせて母の顔を拭きながら「痛くない?だからいつもひとりでベッドを離れないでって言ってるでしょう。こんなに腫れちゃって。身体で他に痛いところはないの?」

私は不安を取り外すようにしゃべり続けていた。その間、当の母はずっとニコニコと笑っているのだ。その笑顔を見ていると私はふっと心が軽くなった。そして思わず「美人のお母さんも台無しね。これじゃあ怪談話に出てくるおいわさんだわ。」と笑いながら言った。その間も母は終始笑顔であった。

その後母は認知の症状も進み本人がいくら自力で行動しようとしても出来ない身体となった。ただ笑顔だけはずっと絶やすことはなかった。

私の顔はもうしばらくはおいわさん状態が続くだろう。でも私も笑顔でこの顔と付き合っていこう。鏡の中の顔がにっこりと微笑んでいた。

     了





#24「私の先生」 林芙美子 作 / 読み手:川野裕満子 / 2021年4月8日 / 青空文庫より

 私は十三歳の時に、中国の尾道と云う町でそこの市立女学校にはいった。受持ちの教師が森要人と云うかなりな年配の人で、私たちには国語を教えてくれた。その頃、四十七、八歳位にはなっていられた方であったが、小さい私たちには大変おじいさんに見えて、安心してものを云うことが出来た。作文の時間になると、手紙や見舞文は書かせないで、何でも、自由なものを書けと云って、森先生は日向ぼっこをして呆んやり眼をつぶっていた。作文の時間がたびかさなって、生徒の書いたものがたまってゆくと、作文の時間の始めにかならず生徒の作品を一、二編ずつ読んでは、その一、二編について批評を加えるのが例になった。その読まれる作品は、たいてい私のものと、川添と云う少女のもので、私の作品が、たいていは家庭のことを書いているのに反して、川添と云う少女のは、森の梟とか幻想の虹とかいったハイカラなもので、私はその少女の作品から、「神秘的」なと云う愕くべき上品な言葉を知った。  

 十三歳の少女にとって、「神秘的」と云う言葉はなかなかの愕きであって、私はその川添と云う少女を随分尊敬したものだ。――森先生は、国語作文のほかに、珠算を時々教えていられたのだが尾道と云う町が商業都市なので、課外にこの珠算はどうしてもしなければならなかった。私の組で珠算のきらいなのは、私と川添と云う少女と、森先生とであったので、たいていは級長が問題を出して皆にやらしていた。 

 森要人先生は、その女学校でもたいした重要なひとでもないらしく、朝礼の時間でも、庭の隅に呆んやり立っていられた。課外に、森先生に漢文をならうのは私一人であったが、ちっとも面倒がらないで、理科室や裁縫室で一時間位ずつ教えを受けた。頭の禿げあがったひとで、組でもおぼろ月夜とあだ名していたが、大変無口で私たちを叱ったことがなかった。  

 秋になって性行調査と云うのが全校にあって、毎日一人か二人ずつ受持ちの教師に呼ばれて色々なことをたずねられるのであったが、私たちはまだ一年生で恋人もなければ同性愛もなく、別にとりたてて調べることもないのであったが一人ずつ呼ばれた。私も何人めかに呼ばれて、森先生は呆んやりした何時もの日向ぼっこのしせいで「どんな本を読んでいるか」とたずねた。私は『復活』と『書生かたぎ』と云うのを読んでいると云ったら、すこし早すぎるとそれだけであった。  

 森先生は、私たちが二年になると千葉の木更津中学へ転任してゆかれた。めだたないひとだったので誰も悲しまなかった。先生の家族を停車場へおくって行ったのは生徒で私ひとりであった。私はそれからも、その先生の恩に報いるため、母にねだっては時々名物の飴玉を少しばかり送った。(坊ちゃんが二、三人あったように記憶していたので)暫くして、私たちの国語の教師には早大出の大井三郎と云うひとがきまった。まだ二十四、五のひとで、生徒たちにたちまち人気が湧き、国語や作文の時間が活気だってきた。夜なんかも、この先生の下宿先きには上級生たちがいっぱい群れていた。私はこの先生に文章倶楽部と云うのを毎月借りていた。大井先生はまた私に色々な本を貸してくれた。広津和郎の『死児を抱いて』と云う小さい本なぞ私は愕きをもって読んだものであった。  

 ある日、昼の休みに講堂の裏で鈴木三重吉の『瓦』と云う本を読んでいた。校長がぶらりとやって来て、此様な社会の暗黒面を知るような本を読んではいけないと云った。私は大変いい本だと思いますと云うと、そのあくる日の朝礼の時間に、校長がひとくさり、小説の害を説いて降壇すると、その後に若い国語の大井先生が「小説を読むふとどきな生徒がいることは困ったことです」と登壇された。私は首をたれていたが、この若い教師の言葉をそのときほど身に沁みて考えたことはなかった。その『瓦』と云う本は大井先生に借りていたものであった。森先生に伸々とそだてられていた私は、小説を読むことをそんなに害とも思わなかったし、学校で読んで悪いことも、そんなに気にしていなかったので、それからと云うもの、私はこの若い国語教師にうっすらと失望を感じ尊敬を持たなくなった。学校へは一切小説本を持ちこまなくなったかわり、勉強もおろそかになってしまって、三年四年となるにつれて、私はせいせきが段々悪くなって、卒業する時は八十七分の八十六番位で出たと思う。国語も作文も図画も乙ばかりだった。  

 その時の校長を佐藤正都知と云った。私の家族はその頃尾道の近在を行商してまわっていたので、学校から帰っても誰もいなかったし、家の前のうどんやで、毎晩、私は夕飯を食べるようになっていた。一ヶ月分の金があずけてあって、夕方になると私はそのうどん屋の細長い茶向台で御飯をたべた。ある夕方、私は御飯をたべてこのうどん屋から出かけると、ちょうど遅く学校から帰って来ていた校長に逢った。その翌日、学校から母へ呼び出し状が来たがこの忙がしいのにそれどころではない、面倒なことを云われたら止めてしまえとそのままになった。私は学校中でもいけない部類の生徒になって、しまいには、何かが無くなっても私にかぶせられた。新らしい上草履を買ってはいていると、受持ちの図画の市河と云う教師に呼ばれて、その草履は誰それのものではないかと云われた。私は朝、自分でその草履を買ったばかりで名前を書くひまもなかったが、教室へ帰ると、その時ばかりは学校へ火をつけてやりたかった。その草履については、母が、お前の身分としては竹の皮の表でよいと云うのを無理矢理八銭ほどはまらせて、畳表の麻裏を買ったもので、あとで、同組の生徒が告げ口したと云うことを聞き、その生徒の前で怒鳴ったことがあった。私は、仲のいい友達がひとりもなかった。川添と云う少女とは組が別れて、私は英語の多い級にいたのでめったに逢えなかった。  

 私は一年生の時は百人の組で十一番であったが、卒業する折は、満足に卒業出来るかと心配した位で、好きな学課は、地理と英語と国語と歴史と作文と図画であった。どれも乙ばかりで、三、四年の頃好きだった図画も乙ばかりだった。図画の宿題には、講談倶楽部か何かの口絵を描いて来る少女が一番いいせいせきで、私のように静物や風景を写生してゆくのには、何時も乙か丙をくれた。今考えだしても学校時代は何の愉しみもなかった。私は、あんまり女学校時代のことを書かないけれども、森先生以外にはなつかしいと思う先生がひとりもない。卒業も出来かねた私を卒業さしてくれたのは大井先生だと云うことを同|組のものに聞いたことがあったがこれはうれしかった。卒業写真に、私は黒木綿の紋付を着てうれしそうに写っているが、これは下級生の紋付を借り着して行ったもので母もその当時は、卒業出来るのなら工面してでも紋付を造ってやったにと云い云いした。  

 この学校を卒業して十三、四年になるが森先生は木更津の中学校にいまだにいられるかどうか、私はそれきりお逢いしたことがない、いまでは老齢になっていられることであろう。私はこの先生にだけは逢いたいと思っている。





#23「流しびな」 作・読み手:川野裕満子 / 2021年3月1日 / オリジナル作品

もうすぐ3月というある日、春ちゃんは元気よく学校から帰ってきました。

「ただいま」

玄関の扉をいきおいよく開けた春ちゃんは、思わず立ち止まりました。家の奥の方からとてもいい香りがしてくるのです。

いつもなら靴を脱ぎ捨てて一目散にリビングに駆け上がる春ちゃんでしたが、今日はゆっくりと靴を脱ぎしかも両手できちんと靴を揃えました。なぜか、春ちゃんをおしとやかにする柔らかな香りでした。

お母さんにいつも

「春ちゃん、もう少しお行儀よくしてね」と言われている事を思い出したりもしました。

家に入ると、廊下をそろりそろりと歩いてリビングの扉を開けました。リビングの一番奥にお母さんがいました。お母さんは、大きな木箱を前にして、膝をついて白くて薄い紙に包まれた人形を大切そうに出しているところでした。

「おひなさまだ!」

春ちゃんが思わず叫びました。

お母さんはびっくりしたように

「春ちゃん、、おかえりなさい。ちっとも気がつかなかったわ。」

それぐらい今日の春ちゃんは、おしとやかだったんです。

「春ちゃん、ランドセルを置いて、手を洗ったら雛人形を飾るのを手伝ってね」とお母さんはにこにこしながら言いました。

春ちゃんは、お母さんの言葉も終わらないうちに、ドタドタと階段を上がってランドセルを置くといきおいよく洗面所で手を洗ってもどってきました。

春ちゃんのほっぺは上気して、ハアハアと肩で息をするぐらいでした。

「あらあら、いつものお転婆春ちゃんね。でもお人形を紙から出すときは優しく丁寧に扱ってあげてね。一年間ぐっすり眠っていたのだから、そっと起してあげましょうね。」

春ちゃんは、大きくうなづくとお母さんの横にちょこんと座り、夢中ででもそっとお人形の包みを開いていきました。お母さんが花瓶にいけた桃からは、甘いいい匂いが漂っていました。

「あれ?これは、なに?」

その時、春ちゃんは他のお人形とは違うお人形を見つけました。それは、藁で編んだ平たいお皿の上に乗った女の子の形をした人形でした。他の人形の着物は布できちんと作られ、髪の毛も本物のように繊細でした。けれどその人形は折り紙のような紙で作られており、色も褪せて変色しているようでした。

「変なお人形」

春ちゃんが乱暴に持ち上げた時でした。

「あら!こんな所にあったのね」

お母さんが思わず言いました。ポカンとする春ちゃんからお人形を取り上げると、お母さんはとても優しい眼差しで、そのお人形をじっと見つめました。 あまりにも長くお母さんが人形を見つめているので春ちゃんはちょっと面白くなくて「お母さん、どうしたの?」とお母さんの腕を引っ張りました。

我に返ったようなお母さんは、お人形をそっと置くと今度は春ちゃんの目を優しく見つめながら言いました。「これはね、流しびなと言ってお雛様のひとりなのよ。」

「流しびな?」

益々お母さんは優しい眼差しを春ちゃんに注ぎました。

「流しびなっていうのはね、お雛祭りが終わると川や海に持っていって流す紙のお雛様のことなのよ。」

「えっ、流しちゃうの?」春ちゃんは不思議で仕方ありません。「流しびなはね、子供の病気や不幸を子供の代わりに背負って流れていって遠くへ捨ててくれるお人形なのよ。」

お母さんは春ちゃんの手をとって続けました。

「お母さんはね、春ちゃんよりもっと小さい頃、心臓がとても弱かったの。大きな手術をしなければ大人にはなれないでしょうとお医者様に言われていたの。春ちゃんのおばあちゃんはとても悲しんで毎日毎日泣いていたそうよ。ごめんね、ごめんねってお母さんに謝ってばかりいたんですって。そしていよいよ春に手術を受けると決まった年の雛祭りに一生懸命作った雛人形を川に流しに行ったそうよ。そのお陰でお母さんはこんなに元気になって毎年春を迎えられているの」

「あっ、もしかして春子の春は、そこからつけたの?」

お母さんは満面の笑みを浮かべながら

「そうよ。どんなに冬が厳しくても春を迎えられる子供であります様にって、おばあちゃんが名付けてくれたのよ。」

春ちゃんは嬉しくなりました。

「でも流れて行ったお人形が、なぜここにあるの?」

お母さんは春ちゃんの問いかけに深く頷いて

「それはね、流れて行ってくれたお雛様へのお礼がしたいとおばあちゃんが同じお人形を作って、毎年飾ってお礼をしていたのよ。」

春ちゃんの前に、笑うとえくぼの出来る大好きなおばあちゃんの顔が浮かんできました。

     了





#22「コンビニとおじさん」 ie 作 / 読み手:人美 / 2021年2月12日 / 星空文庫より

 

吸って、吐く 吸って、吐く 吸って、吐く

 

特に何も考えず煙を体内から出す。

この行為は、自分の身体に良い影響も悪い影響も与えていないと思う。

別にタバコを吸うことを正当化しているわけではない。

 

実は…

 

「何で寒い寒い言いながら吸うんですかね」

「寒かろうと暑かろうと吸いたくなっちゃうからな」

と、おじさんは答える。

「そうですよね。奥さんに何度怒られても…ですもんね」

「そうそう、辞められない。買い物ついでにコンビニで吸えちゃうもんな」

タバコを数回吸う。

「で、今日は何食べんの?」

何を買ったか覚えているはずなのに、レジ袋を見てしまう。

「牛丼とチキン。そっちは何食べたんですか?」

実のところ、このおじさんが何食べようがあまり興味はない。

しかしどうでもいいなと思う前に、口から飛び出してしまうくらいに軽い質問だ。

「今日は鍋だったな、キムチ鍋」

「いいな、キムチ鍋。奥さんが作ってくれるお鍋、今度食べに行かせて下さいよ。コンビニの喫煙所の常連だってちゃんと紹介して下さいね 」

おじさんは笑う。

「マスクとタバコの相性って悪いよな」

おじさんが的を射てくる。二人ともマスクを顎の所に下げてタバコを吸う。

「そうですよね。いちいち下ろさないといけませんし、吸い終わった後着けるのも、ちょっと嫌ですよね」

「臭いしめんどうだな。でも、コロナ怖いし… それはそうと、大学生は就活とか大変だな」

「そうっすね」

 

「オリンピックもどうなるんだろうね」

「そうっすね」

日本のどこででも行われている他愛もない会話を繰り広げる。

このラリーに何の意味があるんだろう。

そう思っていてもついついやってしまうんだけど…

「話変わるけど、彼女とかいるの?」

いきなりプライベートな質問に少し驚く。

「いやー、いないです…」

「じゃあ、バレンタインのチョコ貰ってないのか」

おじさんは喜んでいる。何で喜んでるんだよ。

「今年は貰ってないですね… 去年は彼女いたんで貰ったですけど…」

「へー去年はいたのか。まあ、去年いた事なんて今年には関係ないけどな」

僕の些細な抵抗を振り払ってくる。おじさんは大人げ無い。

「そうか…そんな悲しいお前さんの為に、ウチの嫁さんがくれたチョコを一つ恵んでやるよ」

ポッキーが一本差し出される。 僕は笑う。嫁さんから貰えたチョコがポッキーで、一回りぐらい年齢が違う僕に見せびらかすなんて。

おじさんも結構子どもだな。

 

今日は珍しく、おじさんとコンビニの中で会った。

話すようになって一年ぐらい経つが、始めての出来事だ。

「今日はタバコだけ買いに来ました」

と言うと、おじさんは

「じゃあ、喫煙所でな」

と、言って先に外を出た。

僕がいくと

「これ、飲みな」

おじさんがコーヒーをくれた。

「どこもかしこもコロナコロナ、嫌な時代だよ」

おじさんはコーヒーを飲む。

「タバコ、吸わないんですか?」

おじさんは笑う。

「嫁さんがよ、タバコはコロナに悪いって言ってたから、少しの間だけ辞めるわ。お前も気をつけろよ」

おじさんは帰る。

僕はタバコの火を消した。

 

ここのコンビニは、大学生活でとてつもなくお世話になった。

ただのコンビニだが、愛着すら湧いている。

何と言ってもおじさんに会ったのもこのコンビニだ。

あれから、コンビニでおじさんには会っていない。タバコをあのまま辞めたのかもしれない。

僕はタバコを吸い続ける。結婚したい相手が見つかるまでは…

 

そんな事を思いながら、コーヒーを買って自動ドアを開けた。





#21「ある少年の正月の日記」 小川未明 作 / 読み手:川野裕満子 / 2021年1月8日 / 青空文庫より

一月一日  

 学校から帰ると、お父さんが、「今年から、おまえが、年始におまわりなさい。」といって、お父さんの名刺を四枚お渡しなさった。そうだ、僕は、十二になったのだ。十二になると、お父さんのお代わりをするのか、知らないけれど、急に、自分でも大人になったような気がする。お母さんから、あいさつのしかたをならって、まずお隣からはじめることにして、出かけた。  

一月二日  

 たくさんの年賀状の中に、僕にきたのが二枚あった。川田と西山からだ。学校で、いちばん親しい二人なのだ。なぜ、僕も早く書いて出さなかったろう。もらってから、出すのでは、なんだか冷淡のような気がする。いっそ、二人のところへ訪ねてゆこうかしらんと考えたが、お正月は、めいわくだろうと思ってやめた。二枚とも、「遊びにきたまえ。」と、書いて出した。  

一月三日  

 お隣の勇ちゃんがきて、寒ぶなを釣りにいかないかと誘った。勇ちゃんは、中学の三年生だ。去年の暮れ、釣り堀へいったときに、おじいさんが、「新年は、三が日の間懸賞つきで、寒ぶなをたくさんいれますよ。」と、いったからだろう。僕、新年早々、殺生するのはいやだといったら、勇ちゃんもゆくのをよして、二人で、ボールを投げて遊んだ。  

一月四日  

 昼ごろ、カチ、カチ、という、ひょうし木の音がきこえる。今年から学校へゆく弟が、「あいつはせっかちだから、おもしろい! やあやあ、コテツが、泣きおるわ。いま血をすわせてやるぞ……。」と、紙芝居の、チャンバラの手まねをして駆けだす。僕は、悲観してしまった。  

一月五日  

 姉さんが、カルメ焼きを造るといって、火を落として、新しい畳の上に、大きな焼け穴をあけた。そして、お母さんにしかられた。いつも、僕たちが、畳をよごすといって、しかられるので、ちょっと痛快に感じた。  

一月六日  

 外で、たこのうなり声がする。窓を開けると、あかるく日が射し込む。絹糸よりも細いくもの糸が、へやの中にかかって光っている。へやがあたたかなので、目にはいらないが、冬もこうしてごく小さなくもが、活動しているのを知った。  

一月七日  

 明日から、学校だ。また、予習もはじまる。大いにしっかりやろう。橋本先生は、僕たちのために、いつもおそくまで残っていてくださる。あ、先生に、年賀状をあげるのを忘れた。しかし僕は、ありがたく思っている。あした、お目にかかって、おめでとうをいおう。今夜、これから、なにをして遊ぼうかな。





#20「天国の少年」 森下雨村 作 / 読み手:人美 / 2020年12月25日 / 著作権フリー作品

 寒い寒いクリスマスの晩のことでした。

 一寸先も見えないほど、深い霧がかかったロンドンの町を、息を切らして走ってゆく一人の少年がありました。

 身を切るような寒さに、少年は耳を真っ赤にし、ひびの切れた小さい手をして、わき目も振らずに走っています。見れば、この寒中になんという寒そうななりをしていることでしょう。でも、少年ジョーイの顔は、喜びに光輝いているのでした。

 ジョーイは今日、日曜学校の先生からクリスマスの贈り物をいただいたのです。その贈り物というのは一枚の白銅貨、五銭のお金でした。ジョーイはそのお金をポケットの中に握りしめて、夢中になって走っているのでした。

 五銭のお金は、長い長い間、ジョーイが夢見ていた望みをとげる、元手です。彼は今、その夢を本当にしようと思って、最寄りの地下鉄道の停車場へかけてゆくところなのです。

 停車場のプラットホームには、お金を入れると下からお菓子が出てくる自動菓子売器がありました。ジョーイは停車場に行くたびに、その自動菓子売器に見とれていましたが、それが今、自分でできるのです。

 ちょうどその時、ジョーイよりは三つぐらい年下と思われる毛皮の帽子をかぶった少年とお母さんが馬車から下りて、地下鉄道の停車場へ行くところでした。

 この少年はエッジーと言って、やっぱりクリスマスの贈り物をいただいて、しっかりとその手に握っています。しかしその手は、ジョーイのようにしもやけもしていなけれは、ひびも切れてはいません。そして手に持ったクリスマスの贈り物も、五銭の白銅貨ではなくて、ピカピカ光るまばゆい金貨でした。

 エッジーとお母さんは、停車場へ入ってゆくと、エッジーの目はふと、プラットホームの柱にかかった自動菓子売器にひきつけられました。それは今までエッジーが見たこともないものです。

「お母さん、これは、何ですか?」

エッジーが不思議そうな顔をしてたずねました。そして、お母さんが説明してくださるのをエッジーはじっと聞いていました。

「ずいぶん面白い不思議な器械があるものだなぁ」

エッジーはすっかり心を奪われて、自分もそれをやってみたいと思いました。

「お母さん、ぼく、入れてみたいから五銭ください」

「あいにくなものね。五銭白銅は一つもありませんよ」

「ないんですか…」

エッジーはしょげこんでお母さんの顔を見上げました。

「じゃあ、十銭ならあるでしょう?」

「いいえ、小さいお金は五円しかありません」

「ぼく、今、五銭がほしいんです」

 エッジーはとうとう泣き出しました。でも、お母さんに涙を見られるのが恥ずかしいのと、自動菓子売器の側を離れたくないのとで、お母さんの後ろにじっとうずくまっています。

 ジョーイは今まで二人が去って行くのをじっと待っていましたが、子供の泣き声を聞いて自動菓子売器の前へ近づきました。

 一目でお金持ちの家の子供であることはわかりました。しかしジョーイはその少年が金持ちであろうと貧乏であろうと、そんなこと関係ありません。

 彼は泣いている少年の顔をじっと見ました。背丈も年頃もちょうど弟のジャックぐらいです。そのジャックは兄弟の中でも、一番身体が弱く、ジョーイも一番気にかけて可愛がっている子でした。今見ていると、その少年の頭から泣き声まで、まるでジャックに似ているのです。もうそれだけで、ジョーイの心は動きました。その上、少年が泣いているわけも、ジョーイにはよくわかっています。

 ジョーイは、つかつかとエッジーの方へ近づいてゆき、そして、

「きみ、五銭玉がないの?」

と、たずねました。

「はい、一つもないんです…」

 エッジーの目から、また涙が流れ落ちました。

 弱い者に対する思いやり…その優しいジョーイの心が、今、悲しそうに泣いているエッジーの上に動いてゆきました。そして、泣いている子供を見ると、たまらなくかわいそうになって、ほうっておかれないのがジョーイの常でした。

 彼はしばらくじっと考えていましたが、やがて、しもやけで赤くなったひびの切れた右手を、そっと少年の前につきだしたと思うと、

「きみに、これをあげよう」

と言い、五銭を差し出しました。





#19「ゆづり葉」 河井酔茗 作 / 読み手:チコ / 2020年12月11日 / 青空文庫より

子供たちよ。

これは ゆづり葉の木です。

この ゆづり葉は

新しい葉が出来ると

入れ代ってふるい葉が落ちてしまうのです。

 

こんなに厚い葉

こんなに大きい葉でも

新しい葉が出来ると無造作に落ちる

新しい葉にいのちを譲って――。

 

子供たちよ。

お前たちは何を欲しがらないでも

凡てのものがお前たちに譲られるのです。

太陽の廻るかぎり

譲られるものは絶えません。

 

輝やける大都会も

そっくりお前たちが譲り受けるのです。

読みきれないほどの書物も

みんなお前たちの手に受取るのです。

幸福なる子供たちよ

お前たちの手はまだ小さいけれど――。

 

世のお父さん、お母さんたちは

何一つ持ってゆかない。

みんなお前たちに譲ってゆくために

いのちあるもの、よいもの、美しいものを

一生懸命に造っています。

 

今、お前たちは気がつかないけれど

ひとりでにいのちは延びる。

鳥のようにうたい、花のように笑っている間に気がついてきます。

 

そしたら子供たちよ

もう一度ど ゆづり葉の木の下に立つて

ゆづり葉を見る時が来くるでしょう。





#18「おかめどんぐり」 小川未明 作 / 読み手:川野裕満子 / 2020年11月27日 / 青空文庫より

 ねえやの田舎は、山奥のさびしい村です。町がなかなか遠いので、子供たちは本屋へいって雑誌を見るということも、めったにありません。三郎さんは、自分の見た雑誌をねえやの弟さんに、送ってやりました。

「坊ちゃん、ありがとうございます。弟は、どんなに喜ぶかしれません。」と、ねえやは、目をうるませて、いいました。

 すると、ある日のこと、弟の孝二くんから、たいそうよろこんで、手紙がまいりました。そして、山で拾った、くりや、どんぐりを送ると書いてありました。 「町が遠いのに、弟さんは、小包を出しにいったんだね。」と、三郎さんはききました。

「いえ、町へは、毎日、村から、だれかついでがありますから。」と、ねえやは、答えました。  

 手紙のあとから、小包がとどきました。あけると、紫色のくりや、まるいどんぐりや、また、ぎんなんなどが、はいっていました。そして山から、いっしょについてきた、木の葉もまじっていました。これを見ると、ねえやは、子供の時分のことを思い出して、なつかしそうにながめていました。 「こんなのが、山にたくさんなっているの?」

「はい、たくさん、なっています。」

「いってみたいなあ。」と、三郎さんは、田舎の秋の景色を思いました。  

 三郎さんは、さっそく、孝二くんに、礼をいってやりました。それから、そのうちに、また雑誌を送るからと書きました。  

 しばらくたつと、孝二くんから手紙がきたのであります。

「なんといって、きたんだろうな。」  

 三郎さんは、あけてよんでみると、

「送っていただいた、美しい雑誌を友だちに見せると、みんなが、奪い合って、たちまち、汚くしてしまいました。残念でなりません。また、送っていただいて、破るといけないから、どうか、もう送らないでください。」と、書いてありました。

「そんなに、あんな雑誌がめずらしいのかなあ。」  

 三郎さんは、活動もなければ、りっぱな店もない、電車もなければ、自動車も通らない、にぎやかなものは、なに一つもない、田舎の景色を目にえがいて、そこに遊ぶ子供の姿を想像した。そのかわり、林が茂っていれば、美しい小川も流れています。

「僕たちだって、そのかわり、くりや、どんぐりを、拾うことができないのだから、おんなじこった。」と、三郎さんは思いました。  

 三郎さんが、孝二くんの送ってくれた、どんぐりを、学校へ持ってゆくと、さあたいへんでした。みんなは、珍しがって、

「見せておくれ。」と、そばへ寄ってきました。

「君、このおかめどんぐりを、どこから拾ってきたんだい。」

「一個、おくれよ。」

「僕にもね。」  

 みんなは、三郎さんのまわりにたかって、はなれないのでした。そのうち、奪い合いから、けんかをはじめたのであります。  

 その晩、三郎さんは、考えました。 「田舎の子は、雑誌を見たいのだ。僕たち街の子は、おかめどんぐりがほしいのだ。かえっこすればいいじゃないか。」  

 あくる日、三郎さんは、学校へいって、

「君たちのよんだ雑誌を田舎の子供へ、送ってやって、田舎の子供たちから、おかめどんぐりを送ってもらおうよ。」と、相談しました。

「賛成、賛成!」  

 そのことを、三郎さんから、孝二くんにいってやると、すぐに返事がきて、田舎の子供たちも大喜びだというのでした。そして、雑誌やおかめどんぐりよりも、まだ知らない、遠い田舎と、街とで、おたがいに、交際するのが、とてもうれしかったのであります。





#17「眠らない男(ひと)」 水城ゆう 作 / 読み手:人美 / 2020年11月13日 / 水色文庫より

 わたしが眠りにつくとき、彼は目をさましている。わたしが目をさましたときも、彼は目をさましている。彼はけっして眠らない人なのだ。

 どうしてわたしは、彼に選ばれたのだろう。

 わたしは、ドジでわがままな女だ。とりたてて美人でもなければ、スタイルもよくない。背も高くないし、顔はソバカスだらけだ。

 わたしの毎日は、失敗の連続だ。

 ヤカンを火にかけていたことを忘れて、黒コゲにしてしまう。トーストはかならず、バターのついたほうを下にして落としてしまう。読んでいる本にはソースをこぼし、新聞にはコーヒーをぶちまけてしまう。キーをつけたまま、車のドアをロックしてしまう。セーターを洗えば、ツーサイズも縮めてしまう。

 こんなわたしを、どうして彼は選んでくれたのだろう。

 彼は言う。そんなことを気にすることないよ。そんなつまらないことを。きみにはもっと大切な、すばらしいことがあるんだから…

 そんなことって本当だろうか。疑うわたしの顔を、彼はじっと見つめている。

 彼に会っていなかったら、わたしはどうなっていただろうか。

 幼いころからわたしは、ばかな女だった。せっかく旅行に行っても、つまらなそうにだまりこんでいるかと思えば、急におうちに帰りたいとぐずりだす。話しかけられても返事はしないし、近所の人にも挨拶できない。好き嫌いははげしいし、気にいらない服は着ようとしない。

 彼に会っていなかったら、わたしはどうなっていたのだろう。

 わたしが日々しでかす後始末を、彼はきちんとやっていってくれる。

 彼がいなければ、わたしはいったいどうしていいのかわからない。

 わたしが夜中に目をさましたとき、彼が眠っているのを見たことがない。

そんなとき、わたしは彼にたずねる

「あなたは眠らないの?」

彼はこたえる。

「ああ、ぼくは眠らないのだ」

わたしは彼にたずねる。

「あなたはどうして眠らないの?」

すると彼はこたえる。

「きみを見ているんだ。きみを見ていなければならないから、ぼくは眠らないんだ。きみはなにも心配することはない。なにも気にしなくてもいいんだよ。ぼくはけっして眠らずに、ここにこうやっているから」

 わたしは彼のその言葉を信じることができる。

 彼はけっして眠らない。





#16「きのこ会議」 夢野久作 作 / 読み手:チコ / 2020年10月23日 / 青空文庫より

初茸、松茸、椎茸、木くらげ、白茸、鴈がん茸、ぬめり茸、霜降り茸、獅子茸、鼠茸、皮剥ぎ茸、米松露、麦松露なぞいうきのこ連中がある夜集まって、談話会を始めました。一番初めに、初茸が立ち上って挨拶をしました。

「皆さん。この頃はだんだん寒くなりましたので、そろそろ私共は土の中へ引き込まねばならぬようになりました。今夜はお別れの宴会ですから、皆さんは何でも思う存分に演説をして下さい。私が書いて新聞に出しますから」  

皆がパチパチと手をたたくと、お次に椎茸が立ち上りました。

「皆さん、私は椎茸というものです。この頃人間は私を大変に重宝がって、わざわざ木を腐らして私共の畑を作ってくれますから、私共はだんだん大きな立派な子孫が殖えて行くばかりです。 今にどんな茸でも人間が畠を作ってくれるようになって貰いたいと思います」  

皆は大賛成で手をたたきました。その次に松茸がエヘンと咳払いをして演説をしました。

「皆さん、私共のつとめは、第一に傘をひろげて種子たねを撒き散らして子孫を殖やすこと、その次は人間に食べられることですが、人間は何故だか私共がまだ傘を開かないうちを喜んで持って行ってしまいます。そのくせ椎茸さんのような畠も作ってくれません。こんな風だと今に私共は種子を撒く事が出来ず、子孫を根絶やしにされねばなりません。人間は何故この理屈がわからないかと思うと、残念でたまりません」と涙を流して申しますと、皆も口々に、「そうだ、そうだ」と同情をしました。  

するとこの時皆のうしろからケラケラと笑うものがあります。

見るとそれは蠅取り茸、紅茸、草鞋茸、馬糞茸、狐の火ともし、狐の茶袋なぞいう毒茸の連中でした。  その大勢の毒茸の中でも一番大きい蠅取り茸は大勢の真中に立ち上って、

「お前達は皆馬鹿だ。世の中の役に立つからそんなに取られてしまうのだ。役にさえ立たなければいじめられはしないのだ。自分の仲間だけ繁昌すればそれでいいではないか。俺達を見ろ。役に立つ処でなく世間の毒になるのだ。蠅でも何でも片っぱしから殺してしまう。えらい茸は人間さえも毎年毎年殺している位だ。だからすこしも世の中の御厄介にならずに、繁昌して行くのだ。お前達も早く人間の毒になるように勉強しろ」と大声でわめき立てました。  

これを聞いた他の連中は皆理屈に負けて「成る程、毒にさえなればこわい事はない」と思う者さえありました。  

そのうちに夜があけて茸狩りの人が来たようですから、皆は本当に毒茸のいう通り毒があるがよいか、ないがよいか、試験してみる事にしてわかれました。  

茸狩りに来たのは、どこかのお父さんとお母さんと姉さんと坊ちゃんでしたが、ここへ来ると皆大喜びで、「もはやこんなに茸はあるまいと思っていたが、いろいろの茸がずいぶん沢山ある」

「あれ、お前のようにむやみに取っては駄目よ。こわさないように大切に取らなくては」

「小さな茸は残してお置きよ。かわいそうだから」

「ヤアあすこにも。ホラここにも」 と大変な騒ぎです。  

そのうちにお父さんは気が付いて、「オイオイみんな気を付けろ。ここに毒茸が固まって生えているぞ。よくおぼえておけ。こんなのはみんな毒茸だ。取って食べたら死んでしまうぞ」とおっしゃいました。茸共は、成る程毒茸はえらいものだと思いました。

毒茸も「それ見ろ」と威張っておりました。  

処が、あらかた茸を取ってしまってお父さんが、「さあ行こう」 と言われますと、

姉さんと坊ちゃんが立ち止まって、

「まあ、毒茸はみんな憎らしい恰好をしている事ねえ」

「ウン、僕が征伐してやろう」

といううちに、片っ端から毒茸共は大きいのも小さいのも根本まで木っ葉微塵に踏み潰されてしまいました。





#15「吾輩は猫である」 夏目漱石 作 / 読み手:川野裕満子 / 2020年10月9日 / 青空文庫より

 吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。なんでもうす暗いじめじめしたところでニャーニャーないていたことだけは記憶している。吾輩はここではじめて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中でいちばん獰悪な種族であったそうだ。この書生というのはときどきわれわれをつかまえて煮て食うという話である。しかしその当時はなんという考えもなかったからべつだんおそろしいとも思わなかった。ただ彼のてのひらにのせられてスーと持ち上げられたときなんだかフワフワした感じがあったばかりである。手のひらの上で少し落ち着いて書生の顔を見たのが、いわゆる人間というものの見はじめであろう。このときみょうなものだと思った感じがいまでものこっている。だいいち毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるでやかんだ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出くわしたことがない。のみならず顔のまん中があまりに突起している。そうしてその穴の中からときどきぷうぷうとけむりをふく。どうもむせぽくてじつによわった。これが人間の飲むたばこというものであることはようやくこのごろ知った。

 この書生のてのひらのうちでしばらくはよい心持ちにすわっておったが、しばらくするとひじょうな速力で運転しはじめた。書生がうごくのか自分だけがうごくのかわからないがむやみに眼がまわる。胸がわるくなる。とうてい助からないと思っていると、どさりと音がして眼けら火がでた。それまでは記憶しているがあとはなんのことやらいくら考えだそうとしてもわからない。

 ふと気がついてみると書生はいない。たくさんおった兄弟が一ぴきも見えぬ。肝心の母親さえすがたをかくしてしまった。そのうえいままでのところとちがってむやみに明るい。眼をあいていられぬぐらいだ。はてななんでもようすがおかしいと、のそのそはいだしてみるとひじょうにいたい。吾輩はわらの上からきゅうに笹原の中へ捨てられたのである。

 ようやくの思いで笹原をはいだすと向こうに大きな池がある。吾輩は池ノ前にすわってどうしたらよかろうと考えてみた。べつにこれという分別もでない。しばらくしてないたら書生がまたむかいにきてくれるかと考えついた。ニャー、ニャーとこころみにやってみたがだれもこない。

 そのうち池の上をさらさらと風がわたって日がくれかかる。腹がひじょうにへってきた。なきたくても声がでない。どうもひじょうに苦しい。そこをがまんしてむりやりにはってゆくとようやくのことでなんとなく人間くさいところへでた。ここへはいったら、どうにかなると思って竹垣のくずれた穴から、とある邸内にもぐりこんだ。縁はふしぎなもので、もしこの竹垣がやぶれていなかったなら、吾輩はついに路傍に餓死したかもしれんのである。一樹の陰とはよくいったものだ。さて屋敷へはしのびこんだもののこれからさきどうしていいかわからない。そのうちに暗くなる。腹はへる。寒さは寒し、雨がふってくるという始末でもう一刻もゆうよができなくなった。しかたがないからとにかく明るくてあたたかそうなほうへほうへとあるいてゆく。今から考えるとそのときはすでに家の内にはいっておったのだ。ここで吾輩はかの書生以外の人間をふたたび見るべき機会に遭遇したのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の書生よりいっそうらんぼうなほうで吾輩を見るやいなやいきなり首すじをつかんで表へほうりだした。吾輩はおさんのすきを見て台所へはいあがった。するとまもなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されてははいあがり、はい上がっては投げ出され、なんでも同じことを四、五へんくりかえしたのを記憶している。そのときにおさんという者はつくづくいやになった。吾輩が最後につまみだされようとしたときに、この家の主人がそうぞうしいなんだといいながらでてきた。下女は吾輩をぶらさげて主人のほうへむけてこの宿なしの小猫がいくらだしてもだしてもお台所へあがってきてこまりますという。主人は鼻の下の黒い毛をひねりながら吾輩の顔をしぽらくながめておったが、やがてそんなら内へおいてやれといったままおくへはいってしまった。主人はあまり口をきかぬ人と見えた。下女はくやしそうに吾輩を台所へほうりだした。かくして吾輩はついにこの家を自分の住家ときめることにしたのである。





#14「先生、わたしね、~言えなかったこと~」 深美真里 作 / 読み手:人美 / 2020年9月25日 / 作者掲載許可済み

●先生、わたしね、 ~言えなかったこと~  深美真里作 / 作者掲載許可済み

十年ぶりのクラス会だった。

最初の店で皆で賑やかに飲み食いした後、二次会に向かう道中私は先生と二人並び、なぜか先生はとても小さく私は偉そうに右手を先生の肩にのせて歩いていた。スーツ姿の先生とパーカーを着た私、二人共真っ直ぐ前を見ていた。

「先生、私、子育て頑張ったよ」

おもむろに言うと

「うん。いい子達やと思うよ」

先生はクールに答えて前を向いたまま歩いていた。

違う。子供達の自慢をしたいんじゃない。

伝えたい事をきちんと話さなければと、

「私ね…。私、自分の人生を反面教師にした」

そう言うと先生の表情が一瞬変わり、私の顔を優しい眼差しで覗き込みパーカーのフードを左手でかぶせてその手を頭に乗せたまま話の続きを待ってくれた。

「自分も…」

と、声を出した途端涙が出てうまく喋れず、一生懸命に声を出そうとしたところで自分の声で目が覚めた。

そう。これは夢。

先生は去年の秋、他界された。

「自分も、自分が育った環境も反面教師」そう続けたかった。

 

高校時代、家庭内の不和で私は少し荒んでいた。特別悪い事をした記憶もないが、一部の教師との関係が悪かったこともあり心が尖っていた。先生には心配も迷惑もかけた。

先生の中での私は少しひねくれた可愛げのない子だったのではないかと思う。

そんな自分自身をよくわかってて大嫌いだったから、卒業してからは変わろうと努力した。自分の人生は自分のもの、自分で幸せん掴んでいくと。

これまでに出会った素敵な人をお手本に、尊敬すべき方の言葉を心に刻み、その時その時を楽しみながら後悔しないようにと歩いてきた。

先生には高校の時からずっと、ごめんなさいも言えてないし、褒めて貰ったた記憶もなかったから。「頑張ったな。偉かったな」って言ってほしかったのかもしれない。

言い残したまま夢は覚めてしまったけど、先生の左手の温もりが現実味をおびて頭の上に残っている。

自分の人生を反面教師にと言った私の気持ちを先生は一瞬でわかってくれて、ちゃんと応えてくれたのかなとその温もりが教えてくれている気がした。

 

今までも、これからも、反面教師にしなければいけない自分もたくさんあると思うけど、昔と違い今は、私は私が大好きです。

先生、逢いに来て下さって、ありがとうございました。





#13「2平方メートルの世界で」 前田海音 作 / 読み手:チコ / 2020年9月11日 / 作者掲載許可済み

※第11回2019年度 子どもノンフィクション文学賞 小学生の部 大賞受賞作品

 

 病室のベッドの大きさは縦約二メートル、幅約一メー トル。その周りをぐるりと囲うカーテンの中が入院中の 私の世界の全てで、寝る、食べる、遊ぶ、勉強するなど だいたいのことはカプセルみたいな空間ですます。この中にいると、一日の時間の流れも家や学校ですごしているのとはちがう気がするし、夏の暑さや冬の寒さも遠い ものに感じる。ふしぎな空間だ。

 ここで私は色んなことを見たり、聞いたり、感じたりする。

 私が年に何度か入院する大学病院の小児科は北海道内 のあちこちから入院してくる子供でいつもいっぱいだ。例えば札幌にある、この病院に、道東にある羅臼町という町から入院するとしたら、車で481キロのきょりを移動することになる。400キロがどのくらいのきょりかというと東京から岩手県や兵庫県くらいあるはずだ。小学二年生までの子供が入院すると家族の誰かが付き添うのがこの病院の決まりなので、家族の住まいはバラバラになる。特に北海道は冬になるとJRなどの交通きかんが乱れたり、車も安全運転が難しくなったりして、ただでさえ辛い入院というイベントが家族みんなに負担をかける。私は札幌に住んでいるので、例えば、「あのお気に入りのお人形もってきて!」などとお願いすればだいたいその日のうちに願いが叶うように、家族が来院することはそれほど難しくない。それでも母が私に付きそっていて、父も仕事で家にいない時は、3才上の兄は、一人で身の回りのことをして登校したり、いつもどおりの生活を送らなければいけない。やはり、私が入院することで家族の生活に、様様なえいきょうを与えている。私はそれを申し訳なく思うことを兄に伝えると、

「別に。しょうがないじゃん。」と、言う。しかたない。そうかもしれない。でも私は一人でご飯を食べて、寝て、 ドアにカギをかけて登校する兄を想うと、やっぱりごめんなさい。と思う。

 小児科と、ひとくくりにはしているけれど、1. 血液、しゅよう 2.神経、筋 3.じんぞう 4.かんせんしょう 5.内分ぴつ 6.こころと発達 7.じゅんかんき 8.生活しゅうかん病  9.リウマチ、こうげん病などに分かれていて、たくさんの先生方がしんりょうにあたっている。私は、2のチー ムの先生がたに、みていただいている。毎月の外来受しんと年に数回の入院で治りょうのこうかを判断して、今後の治りょう方しんを決めることを三才から続けている。長期入院になる事はほとんどないので、同室のかんじゃさんと話したりする事はほとんどない。入院で辛い事の中には「こどく感」もある。

 病気の説明を受ける時はだいたい私も母といっしょに聞く。むずかしくてわからない部分もあるけど、私の病気は発作がとてもわかりづらくて薬があまりこうかてきではないこと。たぶん一生病気とは付き合わなくてはならないこと。は理解している。それでも私は検査をするたびに「もしかしたらきせきがおこるかも。」と期待をしてしまう。例えば、かくいがく検査というものがあり、ほうしゃせんを出すぶっしつをちゅうしゃした後一時間くらい待って検査をするのだが、その待ち時間はひばくをさけるため私はだれにも近づけず、一人イスにすわってすごさなければならない。とうめいなかべのむこうには心配そうに私を見つめる母がいるけれど、お互い近づくことはできない。痛みをがまんしなくてはならない検査ではないけれど、こどく感で泣きたくなる。でも、周 りの目もあるし、もっとつらい検査をしている子供たちも知ってるから、泣けない。なので、こんなに切ない気持ちを味わっているのだから、もしかしたら「薬がきいてるみたいだよ!」とか、

「きせきです!海音ちゃんの検査結果、全て異常ありませんよ!」

 みたいなことが起こらないかな?と思う。でも今のところその願いは叶うことはない。検査後の先生方の顔を見たら、だいたい予想はつくようになった。

 どうして私だけ、とは思わない。病とうには多くの子供たちが入院していて、それぞれが闘っていることは何回か入院をすれば気づくことだ。ここでなければできないせんもんてきな治りょうをするために大学病院にいることも。何か悪いことをしたから病気になったわけでもないし、理由を探してもしかたがない。夜中、看護師さんや先生たちがパタパタと静かに、でもいっこくを争うように動いている気配を感じることがある。もしかしたらなんで、どうしてと考える時間もあまり残されていないのかもしれないとこわくなる。

 たまたま私だった。そうなっとくしているつもりでも、つらい検査や検査のための行動せいげんとかぜっ食や、朝ご飯が今日もご飯、みそしる、タマネギスライスだけだったことや、今ごろ学校ではみんな何をしているのだろうとか考え始めると、この気持ちをどうしたら良いのか分からなくて、なげやりな私になってしまう。

 きっと私は発作がある限り修学旅行などにも行けない。みんなが当たり前にけいけんしていくことも、

「海音ちゃんはやめておこうね、体が大切だからね。」 と、やさしい、けれど強い言葉で、自分は病気だから、みんなのようには選べないことをいやというほど思い知らされるのだろう。悲しいというよりも、自分がみんなのいる場所とはちがう所にいるのだと思わされて、あきらめるってこういうことなのだ、と、静かな気持ちになるのだ。

「もういや!」

「一日で良いから、薬を飲まなくて良い日を下さい!」

 たくさんの言葉を私は飲みこむ。口に出してもまわりを困らせるだけ。私だけじゃない。私の入院のために休みをもらわなければならない母も、仕事が忙しくてあまり面会に来られない父も、一人ですごさなければいけない兄も、みんな言葉を飲みこんでいる。本当の気持ちを言ってしまったら、きっとお互い傷つくし、もうがんばれなくなる気がして、口を閉ざす。

 その日も検査を待っていた私は、いつものようにベッドに横になっていた。週に一回のシーツこうかんの前の日あたりになると私の体の形にシワがよって、しめった感じになって、気持ちよくない。私はふだんと頭の向きを逆にしてねてみようと思いついた。ごろんと体の向きを変えた時ベッドにまたがるオーバーテーブルのうらが見えて、それが目にとびこんできた。私の目はそうとう丸くなったと思う。そこにはびっしとりたくさんのよせがきのような言葉が色とりどりのえんぴつやペンで書きこまれていたのだ。

「ようやく退院できるよ!十六ヶ月、長かった!」

「→おめでとう!」

「みんながんばろうね」

「何でも食べられるようになりたいよー!」 

「納豆とか!」

「再手術。サイテー」

「→ファイト!」

「ママにめいわくかけちゃってる。ごめんね。」

「けんこうになりたいね」

 テーブルに落書きすることはもちろんルールいはんだ。よく見つかって消されなかったなぁ、と思った。基本的に、入院中はベッドやテーブルは同じものを使い続ける。退院や転科のタイミングでそうじされた後に次の人が使うから、この言葉を送りあっている人たちは、会ったことのない人同士だ。時間をこえてお互いの言葉に返事をする。どこに住んでいるのかも、今はどうしているのかもわからないだれかの言葉。言いたいけど言えなかったり、むねにしまってた言葉。この二平方メートルの世界で、同じテーブルを使ってすごしたたくさんの誰かが確かにここに居て、私に語りかけてくれた。ひとりじゃないよって。病気のことでは泣かないって決めてたけど、なみだが出た。

 病気は苦しい。できればない方がいいと思う。

「その苦しみにたえられるからえらばれたんだよ。」 と言われたことがあったけど、えらばないでくださいと思った。病気は不自由だし、めんどうが多い。ただ、げんじつ私は病気と生きていかなくてはならないようで、その人生で知ったことを、知らないだれかに伝えなくてはならないのかもしれないなあ、と思う。病気の子供たちのかすかな声を私は聞いた。そして、そのことを文字にできるくらいには、私は元気で自由だ。

 病気がある私のような子供が、しょう来にゆめを持つことや、自分に出来ることを見つけることはとてもむずかしい。しかし、明日のことはだれにもわからないことは病気があってもなくても変わらないことは知っている。 一日一日、いっしゅん感じたり見たり聞いたりすることを大切にすること。生きていることのすばらしさは気づかないことが多いからようじんした方がよいことも、私は知っている。

 来年、私は長期入院をひかえている。二平方メートルの世界でまた私らしく生きていく。オーバーテーブルに言葉はきざめない分、心に言葉をきざみこむ。それがだ れかに届くかもしれないから。





#12「時」 寺内隆 作 / 読み手:川野裕満子 / 2020年8月28日 / 作者掲載許可済み

時が強く季節を動かす

今、きらめく夏が来た!

寒く、暖かく、暑く、、

季節が空気を送り込んでいく

朝から力強く鳴く蝉の声

鮮やかな草の緑

虫も鳥も植物も

それぞれに、強くたくましく 生きている

やがて、時が流れ、、

時の流れを感じながら

精一杯に 夏を 生きる!





#11「ちいちゃんのかげおくり」より あまんきみこ 作 / 読み手:川野裕満子 / 2020年8月14日 / 作者よりご了承

「かげおくり」って遊びを 教えてくれたのは お父さんでした。

出征する前の日、お父さんは ちいちゃん お兄ちゃん お母さんを連れて、先祖の墓参りに行きました。

その帰り道 青い空を見上げたお父さんがつぶやきました。

「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」

「かげおくりって、なあに?」とちいちゃんが尋ねました。

「十数を数える間、かげぼうしをじっと見つめるのさ。十と言ったら、空を見上げる。するとかげぼうしがそっくり空に映って見える。」とお父さんが説明しました。

「ねぇ、今みんなでやってみましょうよ。」お母さんが言いました。

四人は、手をつなぎました。そしてみんなでかげぼうしに目を落としました。

「ひとつ、ふたつ、みっつ」お父さんが数えだしました。

「よっつ、いつつ、むっつ」お母さんの声も重なりました。

「ななあつ、やっつ、ここのつ」ちいちゃんとお兄ちゃんも一緒に数えだしました。

「とお。」

すると、白い4つのかげぼうしが、すうっと空に上がりました。

「すごーい」とちいちゃんは言いました。

「今日の記念写真だなぁ」とお父さんが言いました。

 

次の日、お父さんは日の丸の旗に送られて、列車に乗りました。

「身体の弱いお父さんまでいくさに行かなければならないなんて。」お母さんがポツンと言ったのが、ちいちゃんの耳には聞こえました。

ちいちゃんとお兄ちゃんは、かげおくりをして遊ぶようになりました。けれど、いくさが激しくなってかげおくりなど出来なくなりました。この町の空にも焼夷弾や爆弾を積んだ飛行機が飛んでくるようになりました。

 

夏の初めのある夜、空襲警報のサイレンでちいちゃんたちは、目が覚めました。

「さあ、急いで」

お母さんの声。

外に出ると、もう赤い炎があちこちにあがっていました。

お母さんはちいちゃんとお兄ちゃんを両手に繋いで走りました。

火がまわってくるぞ。」「川の方に逃げるんだ。」誰かが叫んでいます。

炎の渦が追いかけてきます。

お母さんは、ちいちゃんを抱き上げて走りました。

「お兄ちゃん、はぐれちゃだめよ。」

お兄ちゃんが転びました。足から血が出ています。ひどい怪我です。お母さんはお兄ちゃんをおんぶしました。「さあ、ちいちゃん、母さんとしっかり走るのよ。」

けれど、、沢山の人に追い抜かれたり、ぶつかったり。

ちいちゃんは、お母さんとはぐれてしまいました。

ちいちゃんはひとりぼっちになってしまいました。

 


その夜、ちいちゃんは雑嚢の中に入れてあるほしいいを少し食べました。そして壊れかかった暗い防空壕の中で眠りました。

明るい光が顔に当たって、目が覚めました。

「まぶしいなぁ」

ちいちゃんは暑いような寒いような気がしました。ひどく喉が渇いてきます。いつの間にか太陽は、高く上がっていました。

「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」と言うお父さんの声が青い空から降ってきました。

「ねぇ、今みんなでやってみましょうよ」と言うお母さんの声も青い空から降ってきました。ちいちゃんは、ふらふらする足を踏みしめて立ち上がると、たったひとつのかげぼうしを見つめながら数えだしました。

「ひとつ、ふたつ、みっつ」いつの間にかお父さんの低い声が重なって聞こえ出しました。

「よっつ、いつつ、むっつ」お母さんの高い声もそれに重なって聞こえ出しました。

「ななあつ、やっつ、ここのつ」お兄ちゃんの笑いそうな声も重なってきました。

「とお。」

ちいちゃんが空を見上げると、青い空にくっきりと白いかげが4つ。

「お父ちゃん」ちいちゃんは呼びました。

「お母ちゃん、お兄ちゃん」

その時、身体がすうっと透き通って空に吸い込まれていくのが分かりました。

一面の空の色。ちいちゃんは、空色の花畑の中に立っていました。見回しても見回しても、花畑。

「きっと、ここ、空の上よ。」とちいちゃんは思いました。

「ああ、あたし、お腹がすいて軽くなったから浮いたのね。」

その時向こうから、お父さんとお母さんとお兄ちゃんが笑いながら歩いて来るのが見えました。

「なあんだ、みんなこんなところにいたから、来なかったのね」

ちいちゃんはキラキラ笑い出しました。笑いながら花畑の中を走り出しました。

 

夏の初めのある朝

こうして小さな女の子の命が、空に。消えました。

それから何十年

町には前よりもいっぱい家が建っています。ちいちゃんがひとりでかげおくりをしたところは、小さな公園になっています。

青い空の下、今日もお兄ちゃんやちいちゃんぐらいの子供達が、キラキラ笑い声をあげて、遊んでいます。





#10 見えますか?、私」 水城ゆう  / 読み手:人美 / 2020年7月24日 / 水色文庫より

なにかの物音で目がさめた。

ぐっすり眠っていたように思う。

前の日、思い出せないが、なにか大変なことがあってとても身体が疲れていた。

でも意識ははっきりしていた。

なんの物音だったのかと耳をすましていると、また聞こえた。

物がこすれたり移動したりする音、カタンという小さな音。

横になったまま音がしたほうに目をこらしてみる。

暗くてよく見えない。なんだろう。 だれかいるのだろうか。でも、そんな気配はない。

ひとり暮らしのこの部屋にだれかがはいってきたらすぐにわかるだろうし、たしかにドアはロックしてある。

何時ごろだろう。夜明けまでにはまだありそうだ。

ベッドの横のカーテンを少しあけてみた。

街灯の明かりが差しこんできて、部屋のようすがぼんやりとわかった。

音がしたほうに目をこらす。そちらには低いたんすがあり、上にはぬいぐるみや写真が立ててある。 じっと見ていたが、なにも起こらない。

もう一度寝直そうと、カーテンを閉めかけたそのとき、視線をはずしかけた目のすみでなにかが動いた。

たんすの上の写真立てが倒れて伏せた形になったが、まるでだれかの見えない手がそうしたみたいにすっと持ちあがり、立ったのだ。

その日から不気味なことが次々に起きはじめた。

開けてあったカーテンが勝手に閉まった。めくれていたベッドカバーが元に戻った。

それは夜だけではなかった。

休日の昼間、部屋にいるときにも起こった。

いまも私の目の前で不思議なことが起きている。

机の上に置いたコップが動いている。

机の端から床に落ちる、と思ったら、すーっと持ちあがった。キッチンのあるほうに浮遊していく。

私はついにこらえきれなくて悲鳴をあげた。

気を失っていたのかもしれない。

どのくらいの時間がたったのか、気がつくと人の声がしていた。

 「あの子、本当に不憫で・・・結婚式ももうすぐだったのに。ひろひこさんには気の毒なことをしました」 ママの声だった。

でも、声のするほうにはだれもいない。空耳?

 「おれもくやしいです」 聞いたことのある男の声だった。

ひろひこさん? だれだっけ? その声はなんだかとても懐かしい感じがする。

 「あの子が事故で亡くなってもうすぐ四十九日ね。でもまだこの部屋にいるような気がするのよ。だから昼でも夜でもこうやってここに来てみるの。あの子のことを感じたくて……

ママ、わたし、ここにいるよ。なんでママが見えないの? ママも私のことが見えないの?

事故ってなに?ひょっとして、私……死んじゃってるの? だからママのことが見えないの? 

いまこうやってみなさんに話をしている私。 見えますか?  





#9 夕陽ヶ丘の青いベンチ」 シマリス  / 読み手:人美 / 2020年7月10日 / 星空文庫より

夕陽ヶ丘の青ベンチに座る独りの老人。

長い白髪に深いシワのある顔。

そして組んだ両手のゴツゴツ感。

それは永い人生を過ごして来た証。

老人は丘の上から遠くの水平線に沈む夕日を見ている。

いくぶん微笑んでいるようにも見える横顔。

彼はどんな人生を送って来たのだろうか……

遠くの沖合いを静かに進む大型客船。

ボォーツ ボォーツ……

過ぎ行く時を惜しむかのように鳴いている。

 

小学生の子供たちが、数人、丘の上に駆け上がってきた。

滑り台やシーソー、砂場等で楽しそうに走り回っている。

老人は、ふと腰を上げて砂場で何やら光るものを拾った。

子供たちの周りを見回すようにして、しゃがんでは何かを拾っている。

それから自分のコートのポケットに光るものを入れると、また青ベンチへと戻って行った。

一人の女の子が老人に近寄り訊ねた。

「おじいちゃん……

さっき、何を拾ってたの?」

老人は優しく微笑んで女の子に答えた。

「宝物だよ」

それを聞くと少女は満面の笑顔で友達の方へ戻って行った。

少女は頻りに、砂場やシーソー、滑り台の周りを歩き回っていた。

「何をしてるの?」

数人の友達が少女に訊ねた。

「宝物を探しているの

少女は笑顔で答えた。

「そんなの落ちてる分けないじゃん!」

友達は声を揃えて笑い出した。

それでも少女は諦めずに探している。

やがて水平線に夕日が沈みかけた。

帰宅を急かす、子供たちの母親の声が聞こえる。

青ベンチに座っていた老人も腰を上げ歩き出した。

彼は丘の隅にある金網のカゴにポケットから光るものを取り出して、入れた。

少女は老人の姿が見えなくなったのを確認してから金網のカゴへ走り出した。

「きっと、あのおじいちゃんは、あそこに宝物を隠してるんだ……」

少女が金網のカゴを、のぞきこむと、そこには ……

ガラスの破片や缶ジュースのフタ、尖った小石が入っていた。

「これが、おじいちゃんの言っていた、宝物……

そっか

みんなが、ケガをしないよう、危ない物を拾ってくれていたんだ…」

すべての謎が溶けた少女の心は茜空のように、暖かな光で包まれていた。





#8 「しゃしんやさん」 小川未明 作 / 読み手:川野裕満子 / 2020年6月25日 / 青空文庫より

あつい 日でした。正ちゃんは あおぎりの 木の 下で、すべりだいに のって あそんで いました。

そこへ、かみの ながい しゃしんやさんが はいって きて、
「ひとつ うつさせて くださいませんか。」
と たのみました。この しゃしんやさんは きかいを さげて、ごようを ききに あるくのです。
「子どもを とって もらいましょうか。」
と、おかあさんは おっしゃいました。
「かしこまりました。」
しゃしんやさんは、正ちゃんを すべりだいの 上へ かけさせ、おねえさんに ランドセルを しょわせて、下へ たたせました。
おねえさんは 小学一年生です。
「ぼっちゃん、お口を ふさいで。」
と、しゃしんやさんが いいますと、正ちゃんは、ああんと 口を あけました。
「ぼっちゃん、いい 子ですから、わらって くださいね。」
と、しゃしんやさんが いいますと、正ちゃんは、したを ぺろりと だしました。
これを みて いた おともだちは、正ちゃんの わんぱくに あきれました。
「正ちゃん ごらんなさい、おねえちゃんは おぎょうぎが いいこと。」
と、おかあさんが おっしゃいました。
「いいえ、ぼっちゃんも おぎょうぎが よろしいですよ。さあ、うつしますから。」
と、しゃしんやさんが うつそうと しました。
すると、正ちゃんは するすると すべりだいを すべりました。しゃしんやさんは こまって しまいました。
「この つぎに しましょうか。」
と、おかあさんは おっしゃいました。
かんがえて いた しゃしんやさんは、すっかり うつす よういを してから、
「さあ、おじょうさんも ぼっちゃんも、ようく おかあさんの おかおを ごらんなさい。」
と いいました。
ふたりは、やさしい おかあさんの おかおを みました。かたときも わすれない おかあさんだからです。
その とたん、パチンと 音が して、
「よく とれました。」
と、しゃしんやさんは あいさつを いたしました。





#7 「いいね!」 寺内隆 作 / 読み手:川野裕満子 / 2020年6月25日 / 作者よりご了承

いいね   あなたのそこがいいね

前向きに あなたのままで歩いてる
でこぼこ道 くねった道  
あわてず ゆっくり
それが  あなたの人生

いいね  あなたの そこが
いいね
何にでも チャレンジしようとする 心
失敗しても 壁にぶつかっても あきらめず
何度でも
それが あなたの人生

いいね  あなたのそこが
いいね
あなたと一緒にいたら
ホッとする
いつも幸せな気持ちにさせてくれる
飾らず 自然体で
それが  あなた

そんなあなたを
私は 大好きだよ
あなたの人生に
ずっーと かかわっていたいな





#6 「男心とはかうしたもの 女のえらさと違う偉さ」 岡本かの子 作 / 読み手:チコ / 2020年6月12日 / 青空文庫より

 結婚前は、男子に対する観察などいつても、甚だ漠然としたもので、寧ろこの時代には、男とも、女とも意識しなかつた位です。 

 それが結婚して、やうやく男子に対する自覚が出来、初めて男といふものが解つた時、私の感じたのは、男子といふものは事業慾が強くて、一般に利己主義なものだと思ひました。

 然しかうした考へは、まだ充分に男子といふものが解つてゐない。つまり観察の一段階に過ぎなかつたもので、それから立ち直つて考へて、だん/\男といふものが解つた気もちになつた時、尊敬の念が起るやうになりました。つまり一段階に於いて感じた男子の利己主義も、それをつぐなつて余りあるだけの男の偉さを、第二段に於いて感ずるやうになつたのです。結局私は此頃男子に対して尊敬してをりますが、然しそれかと云つて、女が偉くないといふ意味ではなく、又男子に盲従しようといふ尊敬のしかたでは勿論ないのです。唯女の偉さと違ふ秀れた偉さを男は持つてゐるといふことであつて、女が例へ自分が偉いと思ふ自覚をもつてでも、どこまでも男は尊敬してゆきたいと私は思ふのです。

 

 そんならどこが男の秀れた偉さかと聞かれると、一寸説明がしにくいのですが、結局いろんな点から云つて男は大きくて力があります。つまり生命力が男は女とちがつた意味で豊富だと思ひます。気持ちの上にも余裕があつて、例へば男には憂鬱があつても女ほどヒステリツクなところがありません。女の世界を見るやうに陰険さがありません、女より慈悲があります、技術とか才とかいふ方面は兎も角として、細かに観察すると、たしかに男は女よりもやさしい性情を持つてゐると思ひます。これは男の全体がそうだといふことは云へないかもしれませんが、私たちの社会から観察してたしかにかういふ点で尊敬すべき点を男子に見出すことが出来ます。これは女と対照して考へるのではありませんが、転じては比較になるかしれません。女同士の小心さや不愉快など経験して、此頃は男の偉さといふものに対して尊敬する気持ちになつて居ります。

 





#5 「あめくん」村山籌子 作 / 読み手:チコ / 2020年6月12日 / 青空文庫より

「シト シト シト シト」

と ちいさな おとをさせて あめくんが やつてきました。

「スル スル スル」

とじどうしやが はしつてきましたが、あめくんに であふと すつかり ぬれてしまひました。

「パカ パカ パカ」

と おうまが かけてきましたが、やつぱり あめくんに であふと びつしより ぬれてしまひました。「おもしろい おもしろい」

と あめくんは おほよろこびで、こんどは すこし おほきな おとで ふりはじめました。

「ビチヤ ビチヤ ビチヤ ビチヤ」

すると こんどは おとこのこが あまがつぱをきて かさをさして、やつてきました。

あめくんは かさと あまがつぱのために どうしても そのおとこのこを ぬらすことができません。

「ザア ザア ザア」

おこつた あめくんは、ちからいつぱい ふりましたが、おとこのこは へいきで あるいてゆきます。

「ザア ザア ザア」

あめくんが あとをついてゆくと、おとこのこは うちのなかへ はいつてしまひました。

「おかあさん、ひどいあめですよ」

と おとこのこ の こゑが きこえました。

「ピチヤリ ピチヤリ ピチヤリ」

と あめくんは ガラスまどを たたきました。

あまがつぱを ぬいだ おとこのこ と ちひさな おんなのこが ガラスまどの ところへきて いひました。

「あめくん、こんにちは」

おこつてゐる あめくんは へんじをしないで ただガラスまどを たたきました。

「ピチヤリ ピチヤリ ピチヤリ」

「こんにちは。ごくらうさま。きみはどこからきたの」

と おとこのこが いひました。

「とほい にしのはうから。ピチヤリ ピチヤリ」

と あめくんが こたへました。

「ごきげんよう。おやすみなさい」

と ちひさなおんなのこが いひました。

あめくんは きげんが なほつたので

「おやすみ」

と いつて、やねのうへで、あさまで

「シト シト ピチヤ ピチヤ」

と しづかに うたを うたつて、あさになると とほくのひがしのはうに いつてしまひました。





#4 「すみれ」北條民雄作 / 読み手:人美 / 20205月22日 / 青空文庫より

 昼でも暗いような深い山奥で、音吉じいさんは暮して居りました。三年ばかり前に、おばあさんが亡くなったので、じいさんはたった一人ぼっちでした。じいさんには今年二十になる息子が、一人ありますけれども、遠く離れた町へ働きに出て居りますので、時々手紙の便りがあるくらいなもので、顔を見ることも出来ません。じいさんはほんとうに侘しいその日その日を送って居りました。

 こんな人里はなれた山の中ですから、通る人もなく、昼間でも時々ふくろうの声が聞えたりする程でした。取り分け淋しいのは、お日様がとっぷりと西のお山に沈んでしまって、真っ黒い風が木の葉を鳴かせる暗い夜です。じいさんがじっと囲炉裏の横に坐っていると、遠くの峠のあたりから、ぞうっと肌が寒くなるような狼の声が聞えて来たりするのでした。

 そんな時じいさんは、静かに、囲炉裏に掌をかざしながら、亡くなったおばあさんのことや、遠い町にいる息子のことを考えては、たった一人の自分が、悲しくなるのでした。

 おばあさんが生きていた時分は、二人で息子のことを語り合って、お互に慰め合うことも出来ましたけれど、今ではそれも出来ませんでした。

 来る日も来る日も何の楽しみもない淋しい日ばかりで、じいさんはだんだん山の中に住むのが嫌になって来ました。

「ああ嫌だ嫌だ。もうこんな一人ぼっちの暮しは嫌になった。」

 そう言っては今まで何よりも好きであった仕事にも手がつかないのでした。

 そして、或日のこと、じいさんは膝をたたきながら

「そうだ! そうだ! わしは町へ行こう。町には電車だって汽車だって、まだ見たこともない自動車だってあるんだ。それから舌のとろけるような、おいしいお菓子だってあるに違いない。そうだそうだ! 町の息子の所へ行こう。」

 じいさんはそう決心しました。

「こんなすてきなことに、わしはどうして、今まで気がつかなかったのだろう。」

 そう言いながら、じいさんは早速町へ行く支度に取りかかりました。ところが、その時庭の片すみで、しょんぼりと咲いている、小さなすみれの花がじいさんの眼に映りました。

「おや。」

 と言ってすみれの側へ近よって見ると、それは、ほんとうに小さくて、淋しそうでしたが、その可愛い花びらは、澄み切った空のように青くて、宝石のような美しさです。

「ふうむ。わしはこの年になるまで、こんな綺麗なすみれは見たことはない。」

 と思わず感嘆しました。けれど、それが余り淋しそうなので、

「すみれ、すみれ、お前はどうしてそんなに淋しそうにしているのかね。」

 と尋ねました。

 すみれは、黙ってなんにも答えませんでした。

 その翌日、じいさんは、いよいよ町へ出発しようと思って、わらじを履いている時、ふと昨日のすみれを思い出しました。

 すみれは、やっぱり昨日のように、淋し気に咲いて居ります。じいさんは考えました。

「わしが町へ行ってしまったら、このすみれはどんなに淋しがるだろう。こんな小さな体で、一生懸命に咲いているのに。」

 そう思うと、じいさんはどうしても町へ出かけることが出来ませんでした。

 そしてその翌日もその次の日も、じいさんはすみれのことを思い出してどうしても出発することが出来ませんでした。

「わしが町へ出てしまったら、すみれは一晩で枯れてしまうに違いない。」

 じいさんはそういうことを考えては、町へ行く日を一日一日伸ばして居りました。

 そして、毎日すみれの所へ行っては、水をかけてやったり、こやしをやったりしました。その度にすみれは、うれしそうにほほ笑んで

「ありがとう、ありがとう。」

 とじいさんにお礼を言うのでした。

 すみれはますます美しく、清く咲き続けました。じいさんも、すみれを見ている間は、町へ行くことも忘れてしまうようになりました。

 或日のこと、じいさんは

「お前は、そんなに美しいのに、誰も見てくれないこんな山の中に生れて、さぞ悲しいことだろう。」

 と言うと

「いいえ。」

 とすみれは答えました。

「お前は、歩くことも動くことも出来なくて、なんにも面白いことはないだろう。」

 と尋ねると

「いいえ。」

 と又答えるのでした。

「どうしてだろう。」

 と、じいさんが不思議そうに首をひねって考えこむと

「わたしはほんとうに、毎日、楽しい日ばかりですの。」

「体はこんなに小さいし、歩くことも動くことも出来ません。けれど体がどんなに小さくても、あの広い広い青空も、そこを流れて行く白い雲も、それから毎晩砂金のように光る美しいお星様も、みんな見えます。こんな小さな体で、あんな大きなお空が、どうして見えるのでしょう。わたしは、もうそのことだけでも、誰よりも幸福なのです。」

「ふうむ。」

 とじいさんは、すみれの言菓を聞いて考え込みました。

「それから、誰も見てくれる人がなくても、わたしは一生懸命に、出来る限り美しく咲きたいの。どんな山の中でも、谷間でも、力一パイに咲き続けて、それからわたし枯れたいの。それだけがわたしの生きている務めです。」

 すみれは静かにそう語りました。だまって聞いていた音吉じいさんは

「ああ、なんというお前は利口な花なんだろう。そうだ、わしも、町へ行くのはやめにしよう。」

 じいさんは町へ行くのをやめて了いました。そしてすみれと一所に、すみ切った空を流れて行く綿のような雲を眺めました。

 





#3 「デンデンムシノカナシミ」新美南吉作 / 読み手:川野裕満子 / 20205月9日 / 青空文庫より

イツピキノ デンデンムシガ アリマシタ。

アル ヒ ソノ デンデンムシハ タイヘンナ コトニ キガ ツキマシタ。

「ワタシハ イママデ ウツカリシテ ヰタケレド、ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルデハ ナイカ」

コノ カナシミハ ドウ シタラ ヨイデセウ。

デンデンムシハ オトモダチノ デンデンムシノ トコロニ ヤツテ イキマシタ。

「ワタシハ モウ イキテ ヰラレマセン」

ト ソノ デンデンムシハ オトモダチニ イヒマシタ。

「ナンデスカ」

ト オトモダチノ デンデンムシハ キキマシタ。

「ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルノデス」

ト ハジメノ デンデンムシガ ハナシマシタ。

スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。

「アナタバカリデハ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス。」

 

ソレヂヤ シカタナイト オモツテ、ハジメノ デンデンムシハ、ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。

スルト ソノ オトモダチモ イヒマシタ。

「アナタバカリヂヤ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス」

ソコデ、ハジメノ デンデンムシハ マタ ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。

カウシテ、オトモダチヲ ジユンジユンニ タヅネテ イキマシタガ、ドノ トモダチモ オナジ コトヲ イフノデ アリマシタ。

トウトウ ハジメノ デンデンムシハ キガ ツキマシタ。

「カナシミハ ダレデモ モツテ ヰルノダ。ワタシバカリデハ ナイノダ。ワタシハ ワタシノ カナシミヲ コラヘテ イカナキヤ ナラナイ」

ソシテ、コノ デンデンムシハ モウ、ナゲクノヲ ヤメタノデ アリマス。





2 「デンデンムシ」新美南吉作 / 読み手:チコ / 202052日 / 青空文庫より

大キナ デンデン蟲ノ セナカニ ウマレタバカリノ 小サナ デンデン蟲ガ ノツテ ヰマシタ。

小サナ 小サナ スキトホルヤウナ デンデン蟲デシタ。

「ボウヤ ボウヤ。モウ、アサダカラ、メヲ ダシナサイ。」ト、大キナ デンデン蟲ガ ヨビマシタ。

「アメハ フツテ ヰナイノ?」

「フツテ ヰナイヨ。」

「カゼハ フイテ ヰナイノ?」

「フイテ ヰナイヨ。」

「ホントウ?」

「ホントウヨ。」

「ソンナラ。」ト、ホソイ メヲ、アタマノ ウエニ ソーツト ダシマシタ。

「ボウヤノ アタマノ トコロニ 大キナ モノガ アルデセウ?」ト オカアサンガ キヽマシタ。

「ウン、コノ メニ シミル モノ コレ ナアニ」

「ミドリノ ハツパヨ。」

「ハツパ? イキテンノ」

「サウ、デモ ドウモ シヤ シナイカラ ダイヂヨウブ。」

「ア、カアチヤン、ハツパノ サキニ タマガ ヒカツテル」

「ソレハ アサツユツテ モノ。キレイデセウ」

「キレイダナア、キレイダナア、マンマルダナア。」

スルト、アサツユハ、ハノ サキカラ ピヨイト ハナレテ プツント ヂベタヘ オチテ シマヒマシタ。

「カアチヤン、アサツユガ ニゲテツチヤツタ。」

「オツコツタノヨ。」

「マタ ハツパノ トコヘ カヘツテ クルノ」

「モウ、キマセン。アサツユハ オツコチルト コハレテ シマフノヨ。」

「フーン、ツマンナイネ、ア、シロイ ハツパガ トンデ ユク」

「アレハ ハツパヂヤ ナイコト、テフテフヨ。」

テフテフハ、キノハノ アヒダヲ クグツテ ソラ タカク トンデ イキマシタ。テフテフガ ミエナク ナルト、コドモノ デンデン蟲ハ、

「アレ、ナアニ。ハツパト ハツパノ アヒダニ、トホク ミエル モノ。」ト キヽマシタ。

「ソラヨ」ト カアサンノ デンデン蟲ハ コタヘマシタ。

「ダレカ、ソラノ ナカニ ヰルノ?」

「サア、ソレハ カアサンモ シリマセン。」

「ソラノ ムカフニ ナニガ アルノ?」

「サア、ソレモ シリマセン。」

「フーン」小サイ デンデン蟲ハ、オカアサマデモ ワカラナイ フシギナ トホイ ソラヲ、ホソイ メヲ 一パイ ノバシテ イツマデモ ミテ ヰマシタ。





1  「お母さまは太陽」小川未明作 / 読み手:チコ / 202052日 / 青空文庫より

 「お母さんは、太陽だ。」ということが、私にはどうしてもわかりませんでした。そうしたら、よくもののわかった、やさしいおじいさんが、つぎのようなお話をしてくださいました。

 

 わしは、子供の時分、おおぜいの兄弟がありました。そして、みんなが、お母さんを大好きでした。みんなは、朝起きると、眠るときまで、楽しいことがあったといい、悲しいことがあったといい、「お母さん、お母さん……。」といいました。そして、お母さんの後ろについたものです。昼間がそうあったばかりでなしに、夜になって寝るときも、みんなは、お母さんのそばに寝たいといって、その場所を争いました。それで、お母さんを真ん中にして、四人の子供らが左右・前後に、輪になって休みました。みんなは、いずれも、お母さんの方に顔を向けて休んだのです。それは、ちょうど、草が、太陽の方を向いて花を開くのと同じだったのです。

 だれでもそうであるが、私たち兄弟・姉妹は、大きくなってから、いつまでもお母さんのそばにいっしょにいることができなかった。

 わしも、なつかしい、やさしいお母さんのそばを離れて、旅へ出るようになった。そうすると、子供のときのように、お母さんのそばで楽しく、平和に寝たように、眠ることができなかった。けれど、お母さんを慕う情はすこしも変わらなかったのです。

 「もう一度、ああした子供の時分に帰りたい。」と、思わないことがなかった。

 そしてまれに故郷へ帰って、お母さんを見ることは、どんなに楽しかったかしれません。遠く故郷を離れて、他国にいるときでも、いつもやさしいお母さんの幻を目に描いて、お母さんのそばにいるときのように、なつかしく思ったのでした。ちょうど、太陽が、雲に隠れていて見えなくても、花は、その方を向いて、太陽のありかを知ると同じようなものでありました。

 いま、わしの母は、もうこの地上には、どこを探しても見いだすことができない。そして、母はあの、夜というもののない天国へいって、じっと、自分の子供たちがどうして暮らしているかと見ていなさることと思っている。それで、わしは、この年寄りになっても、西の夕空を見るたびに、なつかしいお母さんの顔を目に思い浮かべるのです。

 これは、一人、わしばかり考えることでなく、わしの兄弟・姉妹が、みんな同じようなことを思っている……。お母さんが太陽だということは、これでもわかるでありましょう。

 

 これが、ものわかりのいい、人のいいおじいさんのお話でした。私にはよくその意味がわかった。また、みなさんが、草や、花なら、お母さんは、まさしく太陽であるといえるでありましょう。